''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

桃の節句のひな祭りに、抹茶で一服してみました より。

朝からいい天気です。
2歳児ゆうゆうと、散歩に出かけて来ました。
暖かいです。
私の心も温かいです。

娘の手を引いて、散歩が出来る喜びがあります。
ささやかですが、幸せを感じています。

昨日は、桃の節句でした。
先日、嫁が家の荷物整理していて見つけたモノがありました。
それを使って、一服です。
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嫁がお薄を点ててくれました。
菓子は、千なりの紅餡です。
本格的な生菓子ではありませんが、家のお薄なら、これで十分です。
イメージ 2

茶碗は、お雛様です。
この立ち位置を見て、違和感を覚える方は、なかなかの通です。
そう通常のお雛さまの立ち位置が、逆になっていますね。
お内裏様が、こちらから見て、左に居られるのが、常です。

ただ、これも明治に入ってからだと聞きます。
正式には、こちらから見て、右の位置が、お内裏様の立ち位置ですからね。

お内裏さまとお雛様、そして、三人官女と続くわけです。
その前に菱餅が並び、漆の漆器の道具が並びます。
そして、こちらから見て、右には桜、左には橘の木が並びます。

これは、紫宸殿の前にある桜と橘の並びと同じです。
俗に、左近の桜に、右近の橘と言うと聞きます。

ただ、この左近右近は、紫宸殿から見ての位置関係です。
すると、お雛様とお内裏様も、こちらから見て、右の方が左の上手になります。
左大臣と右大臣なら、左大臣の方が、官位が高いです。
左大臣と言えば、唐名で「左丞相」(さじょうしょう)とも言いますね。

「左丞相」と言えば、キングダムのあの方をイメージされる方も多いでしょう。
「おぬしも悪よの~」
獅子真鍮の虫かもしれません。
いえいえ、そんな方は、意識せずに、無視して下さい。(笑)

左近と言えば、私の好きな戦国武将の島左近です。
左近と言っても、♪毎度、皆さまお馴染みの~の宮川左近ショーの方でもありません。
懐かしい昭和の匂いのする音曲漫才です。

島左近と言うのも、不思議な武将です。
はっきり言って、分からないことが多いです。
三成の重臣でありながら、関ヶ原後の生死が不明です。

その娘・玉も、柳生宗家の柳生利厳(やぎゅう としとし)の妻になっています。
そして、その子・厳包(やぎゅう としかね)ですよね。
後の連也斎です。
つまり、左近の孫です。

三成の重臣のイメージが強いですが、豊臣秀長にも仕えていました。
その前は、蒲生氏郷、その前は、筒井順慶の家臣だったと言われています。

筒井家では、松倉右近と言う武将とともに、「左近右近」の対があったも有名ですが、松倉右近が石高八千石であったのに対して、左近の石高も不明です。


左近が、三成の家臣になった時、秀吉が喜んだとも聞いたことがあります。
もちろん、秀長家臣の時に、豊臣秀吉との面識もあったと思われます。

武功に縁のなかった三成が、武勇に秀でた左近を家臣にしたと言う事が、プラスイメージにしたからでしょう。
のちに、「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山城」と言われる武将のイメージです。
家康で言えば、本多平八郎の立ち位置ですね。

そんなビックな武将にしては、関ヶ原の後が分からないだけでなく、その出自から、いろいろな事まで、不明の事が多過ぎます。
もともと、奈良県生駒郡平群町辺りの領主だったと想像されます。
名前も、島左近と言うより、嶋左近なんですよね。
興味のそそられる武将です。

お雛さんから、いろいろな話に飛びましたが、そろそろ「しっかりやりましょう時間まで」と言うくらいに話が長くなったので、ここら辺りで、終止符を打ちたくなりました。

日々の暮らしの中で、神仏に手を合わせて、ささやかながら幸せに暮らさせてもらっています。
ありがとさんです。