''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

我が家の食卓ものがたり 熱々蒸し立ての肉まん より。

最近、我が家の2歳児ゆうゆうの食欲が、止まりません。
保育園の昼ごはんも、しっかりと食べています。

それ以上に、家での食事は、よく食べます。
休日のランチと言えば、嫁が生地からこねて作ってくれた肉まんを、蒸し器で熱々にした蒸したものを、食卓の出ました。

もちろん、熱々ですから、ゆうゆうは二の足を踏んでいます。
羹に懲りて膾を吹くの例えを実践しています。
熱いモノに懲り懲りしたことがあります。
まさにトラウマ状態ですね。
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味の決め手は、嫁の仕事場で頂いた破竹が、いいアクセントになっています。
ニラと香りもいいですね。
ある時ない時の関西の定番の肉まんとは、もちろん違いますが、熱々と言うのはご馳走です。

熱々は美味いと分かっていても、なかなか触手が伸びません。
それでも、早く食べないと、私に食べられてしまうと言う危機を感じています。
ですから、こわごわ手を出します。
私は熱いモノは平気です。
熱々のお茶でも呑めるタイプです。

ちょっとしたコツがあるだけです。
猫舌と言う方は、このコツを掴んでいないだけです。
舌の上で、熱いモノを感じにくい所がありますからね。
もちろん、ふうふうしてある程度冷ますのも、必要です。

ただ、熱いモノは熱いうちに食べるのが、基本です。
冷たいモノは、冷たいうちに食べたいです。
それでも、熱々のラーメンは、冷ましてから食べると、不味いです。

食に対する欲も、ゆうゆうにはもって貰いたいですね。
作り手に対する礼でもあると思うんです。
作る方も食べる方も、料理に真摯に向き合う姿勢は必要です。

そうそす池波正太郎著の『男の作法』で、天ぷらを食べる様は、「親の敵にでも会ったように揚げるそばからかぶりつくよう食べなきゃ」は、私の中でも、常に心にあります。
冷めた天ぷらは、食べる価値はないです。
お弁当に入った天ぷらと、その場で食べる天ぷらは、作り方が違いますからね。

酒も、二本が限界だといい含めています。
天ぷら屋は、酒を呑む所じゃないんだと戒めています。
もちろん、そば屋もそうですね。
料理と時間を楽しみ大人の時間の過した方を、常のものと心得ています。

我が家なら、ちょっと羽目を外してもいいでしょう。
家で熱々の肉まんをガツガツ食べています。
熱々は美味いです。
ご馳走様、ありがとさんです。

日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。