''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

南洲書 「敬天愛人」 より。

第70回毎日書道展特別展示「墨魂の昴-近代書道の人々」の中の掲載が、毎日新聞の「書の世界」の連載にあります。
購読者一人として、楽しみにしています。

 

最近は、新聞紙面だけでなく、デジタルの記事としても、愛読しています。
スマホタブレットから見られます。
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南洲とは、大河ドラマでお馴染みの西郷どんの事ですね。
敬天愛人(けいてんあいじん)」という言葉は、西郷隆盛が好んで使い、よく揮毫した言葉と聞きます。
「天を敬い、人を愛する」と言う意味ですね。
この「敬天愛人」という言葉には、西郷の生きる上での信念、あるいは、信仰的でもある天命に対する自覚とするものなのでしょう。

 

「人は天命というものを天から与えられ、それに従い生きているのである」と西郷どんも言っていたと聞きます。

 

人には、それぞれの人の天命があると私も感じています。
人は、何かの力で生かされています。
私の場合には、それが仏様かもしれません。

 

歌のタイトルではないけれど、人生いろいろです。
生涯独身で生きるモノとして生きていましたが、ひょんことから、49歳で結婚して、50歳にしても子供を授かりました。
ここ数年の劇的な変化に、目を見張るばかりです。
これも、私に与えられた天命だっのかもしれません。

 

そのお蔭で、親になれた喜びも感じられました。
ありがたいことです。

 

愛人と言えば、日本語では意味深な言葉ですが、中国語では、配偶者をさす言葉です。
学校で、中国語の授業があった時、同輩のN君が、言った言葉が、昨日のように印象的でした。

 

中国語で、「私の家族は、父と母と娘と愛人です」を意味していたのを、誰が誤って訳した時、N君が、「複雑な家庭やなぁ」と言ったのです。
腹を抱えて、笑いました。

 

そうそう、『NHKスペシャルドラマ 坂の上の雲』で、英語のテスト中にカンニングしようと、真之が言った裁判官を意味する法官(judicature)を、太鼓持ちとも呼ばれる幇間(ほうかん)と勘違いするシーンを思い出しましたよ。

 

ドラマは、伊予松山出身で、日露戦争において大きな役割を担った秋山好古阿部寛)と真之(本木雅弘)兄弟と、明治を代表する文学者・正岡子規香川照之)の物語でしたね。
なかなか趣があってドラマのようです。



それに比べると、大河ドラマの『西郷どん』はドラマの設定がはっきりしません。
下級武士が、いきなり、薩摩の殿様と語り合ったり、一橋慶喜と二人っきりで会ったり、公家衆とも会うのは、どうも歴史的な背景が欠落して、ドラマとしては面白いのかもしれませんが、歴史的な考察が不味いです。

 

今の西郷どんは、石高何石で、役職は何なのか、全く分かりません。
いきなり、家老に準ずる立場にあったかと思えば、長州征伐の参謀役のような役職(征長軍参謀)を、一橋慶喜から命じられると言うモノ、喜々難解です。

 

薩摩の西郷の家の様子からすれば、せいぜいお目見え以下の三十表二人扶持(実際41石)の下級のような暮らしのままです。
京での暮らしの金銭はどこから出ているのでしょう。

 

自分持ちとは思えません。
藩から支給されるには、それなりの役職がないと役料は出ません。

 

戦場での上等な身なりも、どこから金銭が出たのか不明なままです。
その様子からすれば、最低でも五百石取り以上の留守居役か側用人辺りに見られます。

 

また、第一次長州征伐では、征長軍参謀として、大坂で征長総督・徳川慶勝にお目見えし、自分の意見を申し述べて、長州処分を委任されたとも聞きます。
その後、岩国で長州方代表としての岩国の領主吉川監物と会見して、長州藩三家老の処分を申し入れたと言う事になっています。
どんな立場でその幕府としての代表権を得たと言うのでしょう。

 

嘉永6年(1853年)家督相続を許可された時は、役は郡方書役助、御勘定方小頭の父・西郷九郎隆盛の旧禄47石余禄から、減少して41石余であったとあります。

 

斉彬の江戸参勤に際し、中御小姓・定御供・江戸詰に任ぜられ、江戸に赴いた後に「御庭方役」に就任しています。
それから、禁門の変辺りには、御小納戸頭取・一代小番に任命、第一次長州征伐の征長軍参謀就任する直前では、御側役・代々小番に任命されています。

 

やっと長州同盟辺りになって、大番頭・一身家老組になりますが、やっとこの辺りなら、薩摩を代表する立場が見えて来ます。
でも、石高は見えないままですからね。

 

大河ドラマの主人公ですから、誇張した活躍も分かりますが、誇張し過ぎです。
他に人が居ないようなドラマの構成です。

 

薩摩ならこの時期、後の維新十傑の一人、小松帯刀の存在も大きいはずです。
その小松は、薩摩藩家老、吉利(2,600石)領主でもあります。
そんな薩摩藩でも、重要な人物以上に扱われているのは、少し違和感がありますね。

 

南洲の書と言えば、偽物が多いのも事実です。
人気のテレビ番組「開運!なんでも鑑定団」でも、よく出ますよね。
古い番組内容は、YouTubeの動画でも見られますが、西郷どんの書は多いです。

 

それに対比する位多いのは、伊藤博文でしょうね。
もちろん、博文と署名するモノは、ほぼほぼ偽物です。
春畝と号を入れることが多いですね。

 

幕府方なら、やはり、勝海舟も多いと聞きます。
幕末三舟の書でも、高橋泥舟が揃いにくいですね。
もう一人は、こちらも書の多い山岡鉄舟も多いです。

 

山岡の名前が出れば、そろそろ撤収するする時期になりました。(今日はここしか笑う所ないですよ。ねぇ、とおるちゃん!!)

 

日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。