''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

嫁の戦利品 テーブルマークのホームラン軒 合わせ味噌ラーメン より。

先日、宅配便何やら届きました。
それは何かと言えば、嫁宛の段ボールです。
贈り主を見ると、なるほどある意味本当の戦利品でした。
ラーメンが2つと真空パックの白いごはんの詰め合わせです。

 

その内、一つのラーメンを取り出し、あれとメーカーを見ました。
テーブルマークホームラン軒 合わせ味噌ラーメンです。
見た事のないインスタントカップ麺です。
テーブルマークと言えば、冷凍食品で人気のあるメーカーだと言うくらいしか分かりません。
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これを見てピンと分かった方なら、その通りです。
あれですよ。
関西弁で言うなら、「あれやがな」、なるほどです。
そのフレーズに聞き覚えがあると、浮かんだのは、今は亡き吉朝さんの落語「ふぐ鍋」ですよね。

 

河豚汁や 鯛もあるのに 無分別 と松尾芭蕉の俳句もありますが、ふぐを食べたことがない者のいい分です。
ふぐの味を知れば、やはり、鍋の横綱級である事ははっきりします。
更に雑炊までを含めても、すっぽん鍋のまる鍋と東西の横綱の位置に有りますが、雑味がない分、ふぐ鍋の方が、すっぽん鍋より一段上の味わいだと思いますね。

 

落語の方でも、美味いモノは食べたし、命は惜しいし、そんな中たまたま来ていた出入りの客に振る舞おうと用意したが、やはり食べたことがないと、辞退です。
そんな最中、お菰(こも)がやって来ます。
お菰(こも)とは、平たく言えば、乞食(こじき)、乞食(かたい)、ルンペン、そんな類です。
菰(こも)とは、樽酒の回りに掛けて化粧した莚(むしろ)のような編み物ですね。

 

日本語は、いろいろと表現ありますね。
乞食(かたい)と書けば、異土の乞食(かたい)を思い出します。
室生犀星の『小景異情』の一節、「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしやうらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや~」にあります。
何だか乞食も文学的表現になると、格調高いものになりますね。

 

それが今では、ホームレスと言う横文字の括りになると、何だか雰囲気も違います。
乞食と言えば、さげすんだ言葉を含みますが、船場言葉のお菰となると、何だか情感があるようにも思えます。

 

因みに、本当の乞食になるには、3年ほど掛ると昔聞いたことがあります。
何を食べても当らなくなるまで、それほど時間を要するようです。
食べて体調を壊さなくなるまで、それと食べてはいけないモノと判断するまでの二つの要素があります。

 

今のホームレスは、ファーストフードの店で、時間経過の廃棄するものを手に出来ますから、意外と衛生面にも気を使ってい居るのでしょう。
すべては、情報ですからね。
コンビニ、ファーストフード店といい、賞味期間やそれに類似する制限がある以上、それに伴う食品ロスがあるのが普通です。

 

もったいなと言う日本固有の言語も、ひしひしと感じます。
それに反比例して、子供の貧困問題を考えれば、もっと政府として対策出来るはずです。
いつまでも、ボランティアベースのサービスしかありません。
社会の貧富の二極化が進むばかりです。
子供には、そんな生まれながらのハンディーを埋める法的支援が必要であるはずです。

 

分けのわからない所に、補助金や生活補助をするなら、もっと公平に取り組むべきでしょう。
一度貧困の家庭になれば、貧困から脱出出来ないのは、安倍総理の言う復活のチャンスを与えないのと同じです。
せめて、子供には、いろんなチャンスを排除させないで貰いたいと思います。

 

国家である以上、国民があっての国家です。
国民なくして、国家は成立しないと言えば、より鮮明になるように思えます。

 

子供を持つ親としては、色々な事が不安になります。
将来の子供が不安なく暮らせる国であってもらいたいです。
そう念ずるばかりです。

 

日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。


 

即席インスタント麺の「そ」https://blogs.yahoo.co.jp/kantoshoue/40471407.html