''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

我が家の休日ランチタイム そばめし より。

週末からの三連休は、少しゆっくりしました。
その中日に、ゆうゆうの保育園の運動会も終って、ほっとしました。
今度は、生活発表会が残るだけです。

 

とは言え、その園の行事以外は、家で過ごしました。
それはいつもの事と言われそうです。
家族でどこかに出かけることが少ない我が家です。

 

まだ子供が小さいですから、どこかに行くより、一緒に時間を過すことに主眼を置いています。
でも、休日のランチタイムとなると、いろいろと普段と違います。
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この日は、そばめしです。
神戸長田が発祥だと言われています。
もちろん、発祥店の青森にも行った事があります。

 

神戸長田と言えば、ぼっかけと言う料理があります。
うどんに入れたり、お好み焼きの入れたりするすじ肉料理の総称です。
私も好きですね。
うどんなら、すじ肉の炊いたんを入れますし、お好み焼きなら、すじ肉と蒟蒻の甘辛く炊いたんを入れます。

 

蒟蒻の立場が、曖昧ですが、あってもなかっても「ぼっかけ」と呼ばれますね。
私的には、すじ肉うどんも好きですし、すじ焼のお好み焼きも好きです。

 

京都五条に弁慶と言ううどん屋があります。
ここのすじ肉うどんは、私の好みです。
京都と神戸によって、味の違いはあっても、すじを手間暇かけて、美味しいモノに仕上げるのは、共通です。

 

嫁の岳父が、すじ肉の炊いたんが得意で、何度か分けて貰いました。
甘辛く私好みの味です。
大量のすじ肉を手間暇かけて焚いていたようです。
ご近所さんにもお裾分けされていましたので、ご近所さんからその話をよく聞きます。

 

次回の週末には、すじ肉焚いたんを作りたいと、考えています。
なかなか手間暇かかります。

 

やんちゃな姫さまを子守りしながらする自信がないのも事実です。
最近の2歳児ゆうゆうは、イヤイヤ攻撃が激しくなりましたよ。
あまりに危ない事をしたり、貰った本やおもちゃを粗雑に扱うと、私が怒ります。

 

時に手を出す事もあります。
もちろん、子供ですから、力を入れずに、軽く叩く位です。
怪我をされたら、虐待で保育園に通報されますよ。

 

親ですから、そうした躾も必要だと思います。
口で言って、言葉で諭しても、イヤイヤと言って粗野な言動は、許しません。
こんな2歳児の時に、きつく叱ってやらないと、保育園で他のお友達の園児を傷つけるようなことがあっては、一大事です。

 

叱って叩くとも「たたかれた」と何度も何度も30分くらいずっと連呼します。
悪い事したから、叩かれたんです。
ある程度、親は怖いモノという認識が必要です。
古い考えかもしれませんが、いつもいつも可愛いと甘やかすことが、親ではないと思いますね。

 

そんなこと言いながら、寝ている時は、私の体に触れている事が多いです。
時に、頭を引っ付ける事が多いですね。
生後6カ月頃、嫁が入院して、二人っきりになった時、深夜寝ている時に、私の髪の毛を引っ張って、私が近くに居る事を確認していましたね。

6か月の赤子でも、3人暮らしが、2人暮らしになるのは、分かるはずです。
もしかしたら、自分ひとりになるのではないかと、不安が強かったのだと推測できます。

 

ですから、今でも頭を引っ付けて、体を接触させて、横に居る事も無意識の内に確認しているのだと思われます。
ある意味不憫ですが、時々寝ている愛娘の手を握ってやります。
寝ている娘が、ほっとしたように感じますね。

 

親と子、体験してみないと分からない事が多いです。
土曜時代劇「赤ひげ」の第6回「子殺しの罪」も、ある意味悲惨な親子の話でしたね。
精神疾患の主人と子供4人を内職で生計を立てている妻・おふみ(星野真里)です。
そんな貧困の中、長男の長次(二宮慶多)が盗みを犯した所から、話が急変します。
盗みと言っても、金銭でなく、焚きつけ用に、壁の戸板を少々持ち出したくらいです。

 

とは言え、盗みは盗み、それを同じ長屋のあばずれ女が見ていて、これを流言して回ったのです。
これが新たな悲劇の事件に繋がりました。

 

家族一家心中です。
どうすることもなく妻・おふみ(星野真里)の決断です。
すぐさま、小石川養生所に運ばれますが、ネズミ捕りの薬を服用していて、主人、3人の子供が死亡します。

 

一番上の男の子・長次(二宮慶多)が、生死の境に居た時、小石川養生所の使用人のお光(久保田磨希)が井戸に向かって、「長次」と何度も何度も叫びます。
お光も子供を失った経験があるみたいで、その演技は迫真だと思いましたね。
すると、残りの女の使用人もみんなで、井戸に声をかけます。

 

当時は、井戸がこの世とあの世を繋げていると考えられていたようです。
あの世に行きそうななった長次(二宮慶多)を必死に呼び戻そうとしていたのです。

 

これが天に通じて、長次(二宮慶多)も一命を救われす。
生き残ったのは、妻・おふみ(星野真里)と長次(二宮慶多)の二人だけです。

 

何とも後味が悪いですが、途中で奉行所の役人がやって来ます。
一家心中で、子供を殺したとなると、子殺しの罪の責任を取らされます。

 

そこで、赤ひげの船越英一郎さんは、一家はすべて死亡したとして役人を帰します。
これで、妻・おふみ(星野真里)に、類が及ば無くなったと言う事でしょうね。

 

正直、赤ひげの船越英一郎さんには、違和感がありましたが、何度か見ている間に、火災のシーンも、カメラマンの姿も、船長の姿も、副警察署長の姿も、♪ジャンジャンジャーン ジャンジャンジャーン 崖のシーンも思い浮かばなくなりました。

 

この赤ひげのシリーズは、何とも人間の機微を上手に演出させてくれます。
何か、心に残る感じがいいです。
オンデマンドですから、何度でも見られますが、やはり、最初の衝撃は強いですね。

 

現代でも、一家心中はあります。
時代を越えて、追い詰められた結果がそこにあります。
子供だけは残して死を選ぶのも、残した子供の事を慮って、一緒に死出旅に行くのも、選択肢しがたい決断です。
まだまだ、方法はありそうだと思います。

 

家族を道連れにしない自殺は後を絶ちません。
借金苦で、仕事や人間関係のトラブルでの自殺は、無くならないと思います。
それに加えて、老後や介護を苦にしての自殺は、現代の縮図だと思われますね。

 

どうすればいいのか、私のような凡人には分かりませんが、自分の人生を全うしないで、あの世の暮らしもないと思います。
人の生き死には、自分で決めるモノではありません。
神や仏の領域だと思います。

 

死ぬ気でやればとよく言いますが、生きるのは、時に死より辛いモノがあるものです。
でも、天からの生きる試練がある以上、生かされていますよ。
生きていれば、良い事もあるのも、これまた事実です。
良いも悪いも、人間の気持ちの持ちようで、変わる事もあります。

 

禅の言葉、禅語に「白雲自去来」と言うのがあります。
太陽や月に掛った白雲も、いずれ自ら去っていくモノです。
人には、運もあります。
良い時もあれば、悪い時もあります。
良い事ばかり続く人生もありませんし、悪い事ばかりの続く人生もありません。

 

偉そうに人さまに言っているのではありません。
自分にそう言い聞かせています。
まさに窮地かもしれません。
窮地を転機に変える目が来るのを、じっと待っています。
人生捨てたものじゃないと、言える日が来るのを待つしかありませんね。

 

時に、頑張り過ぎないのが必要です。
仕事に、病気に、そして人生にかもしれません。
家族と過ごせる時間を至福と考えれば、こんな幸せな暮らしはありませんよ。
ありがたいことです。

 

日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。