''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

義士の日に、何か食べたくなったので、ナポリタンを作って頂きました より。

朝から寒いです。
保育園の送り迎えにも、その寒さが堪えます。

 

今日は、極月半ばの14日と言えば、ご存じ赤穂浪士の討ち入りの日です。
「義士の日」と呼ばれる事もありますし、俳句の季語にもなっていると聞きます。
そんな江戸時代の古い話と言うこと莫れです。
いつの世にもある刃傷沙汰が起こしたそその後のけじめのつけ方です。

 

筆頭家老の大石内蔵助以下46人が、公儀に異議を唱えます。
武家の定法、けんか両成敗の大法が、無視されたことに対する異議申し立てです。

 

当事者の一方、浅野内匠頭は、即日切腹、もう一方の高家吉良上野介咎めなしの裁決では、納得がいきません。
また、浅野内匠頭は、家の格式は、城主であり、官位は従五位下 でありながら、切腹もお手軽な御庭先での即日切腹では、武家の情けも知らぬ処理では、その家来は納得できません。

 

今年は、平成最後の「義士の日」にもなりました。
うーん、名作の映画の放送されても、当然なのに・・・、憤慨やるせないです。

 

この浅野内匠頭の無念を晴らさんと、吉良家に打ち入りました。
ある意味、今風に言えば、テロ行為です。
幕府に対しての反乱と看做されても仕方ない処置です。
緊急避難行為を逸脱しています。

 

高速道路の煽り運転の処置とも、危険な行為だと言えます。
繰り返される悪質な高速道路の煽りの危険行為に、憤慨です。
18年と言う期間のある懲役刑でなく、それより重い処断にすべきでしょうね。
常習されていた煽り行為をしたことに、何らの反省もないように見られます。

 

ここまで来れば、犯罪と言うよりは、テロ行為に等しいです。
一般人に対しての、煽り運転と言う危険な行為です。
それが、あちこちで、こうした危険な行為が横行しています。
許し難い行為です。

 

判決によりますと、危険運転致死傷罪の適用を認め、懲役18年を言い渡したさされますが、今後、監禁致死傷罪をも求められて、併合罪になれば、刑期ももっと長くなるでしょうね。
世の中に出て来て貰っては、困る方です。

 

赤穂浪士の討ち入りに話は戻って、ある意味、今日に限って、赤穂事件を考察するにしては、もともと浅野内匠頭の痞えと称する精神的な疾患に由来すると考えます。
血筋にも、同じような刃傷沙汰を起こしています。

 

いきなり、松の廊下で、刀を抜いて切りつける行為は、異常な行為です。
それも、公儀の大切に、記念行事の当日に起きた大事件です。
当時は、公儀の沙汰が、即日切腹も納得できたかもしれません。
幕府の威信は、地に落ちました。

 

ですが、幕府の定法がある以上、その手続きに則ってやるだけです。
その裁決が気に入らないと、個人宅に大勢で、夜襲を掛けた言われても仕方ないです。
それが、300年以上前に起きた吉良家打ち入りです。

 

因みに吉良の殿様は、名君でした。
血筋も正統な源氏の血筋を引いた高貴な方です。
教養も、茶の湯も心得た数寄者だと来れば、後世の芝居になるほどの悪行があったとは思えないのが、歴史的考察です。

 

「田舎侍」とか「フナ侍」とか、一国の城主を侮蔑などしないはずです。
金持ち喧嘩せずの喩えの如く、高貴な方は人からの恨みを受けるのを嫌がります。
言いがかりを付けられて、御家の血筋をさせないように、家名を守るのが、武士です。

 

大祭の服装は、決まっていますので、大名家が間違う事はありません。
畳の張り替えさせられた記録もありません。
料理を二種類用意したと言う記録もありません。
すべて、捏造です。

 

それに、浅野内匠頭は、昔にも同じお役を受けて、高家吉良上野介に教えを受けたことがあります。
今回が、二度目です。
賄賂を求めた記録もありませんし、塩の製法を教えろと、ゴネゴネしたことも記録になりません。

 

なのに、いきなり、院使勅使饗応の当日に、公式の松の廊下で、切りつけたことになります。
常人のすることではありません。
また、遺恨があっても、この場ではぐっと堪忍するのが、人の道です。

 

処分の沙汰は、自分だけではありません。
藩が取り潰されれば、その家臣も浪々の身になり、生活することに困ります。
領民にとっても、混乱するのは必定です。
それらを、天秤の掛けることなく、どちらが殿様としての行動か、判断できるはずです。

 

それすらできなかったとなれば、薬をやっているか、精神的な疾患かのどちらかです。
この一点を捉えても、浅野内匠頭の個人的な責任です。
高家吉良上野介に手落ちはない考えても、辻褄が合います。

 

それを踏まえた上で、赤穂浪士の映画やドラマを見ると、見方が変わります。
赤穂浪士47人も、時代劇だと言うから、難しいですが、今時の言い方にすれば、「AKO47」です。
~坂を付けたいのなら、「南部坂47」ですね。

 

偶然ではありません。
46と48を使っているのに、47を欠番にしているのは、赤穂浪士47人をベースにしているからですよね。秋元先生?

 

乃木坂や欅坂にしているのも、南部坂をイメージしているからですよね。
AKB48としているのも、AKO47の発想ですからですよね。

 

温故知新とは、よく言ったモノです。
幕末の新撰組のユニフォームも、赤穂浪士の討ち入りのリメークです。
買い求めたのは、「大丸」です。

 

四条大宮近くの壬生からなら、四条烏丸辺りまでなら、歩いて20分です。
ドライブスルーゴーゴーなら、10分はかかりませんよ。(信号無視して)
阪急電車なら、大宮から烏丸まで一駅5分もかかりません。

 

ある意味、赤穂浪士は、イメージなんです。
それでも、公儀に対する意思表明が、吉良家の討ち入りです。
当日の雪も降ってはいません。
陣太鼓も鳴らしていません。
そんなことしたら、すぐにバレます。

 

無益な殺生はしていません。
狙うのは、吉良の首ただその一つです。
亡君の恨みを晴らしたと言う形を取っただけで、本当は打ち入りはしたくなかった大石内蔵助殿です。

 

1000石とは言いません、500石程度で浅野家が再興できれば、それで良かったはずです。
亡君ならぬ暴君に対する恨みも言いたかったはずです。
「往生しまっせ」
すでに、往生してますので、その手は桑名の焼ハマグリです。

 

それより、罪もない吉良様御命頂戴する事に対して、迷いや懸念はあったかもしれまんが、ドラマや映画みたいに、最後のとどめを刺すまでもなく、間十次郎の最初の一突きの槍で、絶命されていました。

 

打ち入り後、亡君(暴君)の眠る泉岳寺に行く際に、大道を歩いて行った件のイメージですが、けが人や吉良殿の首は、襲撃に備えて、舟で行っています。
禅の世界なら、東山へは舟で行くのと同じです。
私なら、京阪電車で参ります。

 

打ち入り後、吉良家を発つまで、火の用心の用意は忘れません。
打ち入りによって、火事を出してと言われては、折角の討ち入りも、世間様から「うしろ指」指させます。

 

何事も、気配りが大切です。

 

気配りと言えば、冷蔵庫に何が残っているのか把握も必要です。
余りモノで、美味しい料理が出来れば、言う事がないです。
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スパゲッティーとベーコンとオニオンとピーマンを発見したので、それじゃと昭和の味、「ナポリタン」でしょう。
しめじもあったので、マッシュルーム替わりに、ご一緒にと参加させました。

 

もちろん、麺は湯掻いて一晩寝かせています。
ケチッャプも、フライパンでよく炒りつけて甘味を出しています。
べっちょりは、させていないのは、プロの技です。

 

田舎モノの私には、レストランでなく、喫茶店の味かもしれません。
子供の頃、よく食べさせて貰いました。
茶店で食べるなら、ナポリタンかオムライスと、相場が決まっていました。

 

そうそう、風光明媚な景観からナポリを見てから死ね」(日本のことわざでいうところの「日光を見ずに結構と言うな」)と言われるように、喫茶店なら、ナポリタンかオムライスを食べろていうのが定番でした。

 

そうそう、地名で言うなら、江戸の敵を長崎で討てと言うのもありまよね。
はるばる赤穂から、京都を経由して、江戸で吉良殿の命を狙うにも、経費が必要です。
とは言っても、腹が減っては戦が出来ません。

 

必要な経費をケチケチしながら、亡君の仇を討つと言う一念は、現代人には理解できないかもしれません。
討ち入りの前日にも、そばを食べたと言うチームもあったと聞きます。
前日47人が、3つのチームに分かれて、用意していました。
もちろん、チームA(表門隊)、チームK(裏門隊)、チームO(伝令役)ですよね。

 

ですから、吉良殿を見つけたかった時は、「♪会いたかった会いたかった 君に~」と言ったとか言わなかったとか、記録はないけれどね。

 

オジサンには、これくらいの古い世代が好きです。
一番輝いていた頃だったと思います。
今年の紅白でも、いろんなところで、使い勝手のよい扱いとして、重宝がられますね。

 

今日は長文だったので、麺も伸び伸びになっています。
平成最後の義士の日に、お付き合い下さって、ありがとさんです。

 

日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。