''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

我が家の小鉢 手作りポテトサラダ より。

昨日のニュースで驚いたのは、やはり、レスリング女子五輪3連覇の吉田沙保里さんが8日、現役引退を発表したことと、歌手の西野カナさんがアーティスト活動の無期限休止を発表したことでしょう。
意外な展開に、驚くばかりです。

ただ、最近の吉田沙保里さんのテレビ番組の露出を見ると、やっぱりかと納得してしまいます。
いろいろな葛藤があったと思いますが、王者が王者のまま、引退を決意するのは、スポーツ界では、同じでしょう。

私たち子供の頃の、王貞治氏の引退も、まだまだやれるが、王者のプレーが出来ない以上、余力をもって引退したのと同じかもしれません。

各界では、千代の富士の引退も、まだ勝ち星は伸ばせること出来るが、横綱としての気持ちが維持できなかったと思います。
「体力の限界、気力の限界・・・」、王者の去り方は、潔いと思わせます。

歌手の西野カナさんも、10周年を迎えたばかりで、これからでしょうが、何か違った世界観の中に、身を置きたかったのだと、思います。
第一線を走り続けるのも、10年が一括りでしょう。

英気と充電して帰ってくると思いますね。
旅行が好きだと聞いていますので、なかなか行けない所に行って、世界観が変われば、新しい歌声が聞こえそうですね。

どちらにしても、50歳を回った中年オヤジが言うことではないですね。
自分の限界を関じたことはあります。

10年以上前に、いろいろあって、睡眠時間3時間で、ほぼほぼ2年近く一日の休みもなく、生活していました。
ひどい時は、朝6時間から仕事をして、夜の終わりは、午前1時過ぎでした。
それから家に帰って、2時半に眠って5時前には起きると言う暮らしでしたよ。

あの最悪の時間を考えれば、大抵の事は乗り得られるような気がします。
とは言え、その時には戻りたくないですね。
夢の中に居るのか、現実の世界に居るのか、区別がつかないなることがあります。
夢で仕事が終わって、寝ようと思えば、今度は現実の世界の目覚めでしたよ。

芸能人みたいに、移動中に睡眠を取ると言うことは出来ないので、ガチで睡眠3時間は、限界のラインです。
睡眠時間3時間を切ると、ちょっと言動がおかしくなりますよ。
その時は、4時間眠れたら、よく寝たと感じていましたね。

これが普通の人間の限界ですから、一流のスポーツ選手や創作活動するアーティストなどは、見えない壁が常にあると思いますね。
超一流のスポーツ選手は、その中でも新しい境地を見つけて、長くプレーしていますからね。

吉田沙保里さんなんかは、霊長類最強と、人の世界ではなく、それらを超越しての最強ですからね。
お疲れさまでしたと言うしか言葉を見つけることができません。

次は、指導者(今も選手と兼務されています)としての力量がとらわれることになりますね。
頑張って、東京オリンピックに大きな成果を見せてもらいたいです。
ありがとさんでした。
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いきなり我が家の夕食の小鉢の話になって申し訳ないです。
それでも、我が家の小鉢でも、3歳児ゆうゆうには、最強の一品があります。
それが、ポテトサラダです。
写真は私用の一味唐辛子しフリフリバージョンです。

ゆううゆは、ポテトサラダが大好きです。
よく食べます。
我が家の鉄板の料理です。
外れはありません。

この日は、冷蔵庫に胡瓜のストックがなく、じゃがいも、人参、オニオンスライス、ソーセージを使って言います。
胡瓜があると良かったのですが、ない時もあります。
それじゃ、あの豚まんのテレビCMのある時ない時みたいですね。

禅の言葉、禅語に「逢茶々遇飯々」(ちゃにあえばちゃ はんにあえばはん)と言うのがあります。
意味は、芳賀幸四郎氏の言葉を借りて、難しく言えば、「人生の万縁万境に対していささかの執着もなく、その時々の条件に無心に反応して、自由無礙生に生きる禅者・道人の境遇を表した一句である」と言う事のようです。

何事も執着はないと言うのは、いいと思います。
その分、気持ちが楽になります。

私も、そうでありたいです。
どうにもならないことを悩んでも仕方ないです。
前に前に進むしか、道はないんですよね。
そう思えば、勇気が湧いてきそうです。

たかがポテトサラダ、されどポテトサラダです。
中に何が入ろうとも、父はゆうゆうの好きなポテトサラダの味に仕上げますよ。
そして、「おいちぃ」って言ってもらえることが、父の幸せです。
ささやかですが、日々の暮らしの中で、幸せを見つけられています。

人生とは、楽しむのもでなく、味わうものだと言うのが、我が愛読の書『禅語の茶軸 一行物』芳賀幸四郎氏の言葉です。
ちょっと、マヨネーズの味を、薄い目にしています。
いんも(恁麽 )の味にあらずと、禅者に叱られそうですね。
いえいえ、いも(芋)の味です。

道とは、特別なことでなく、日々の暮らしの中にあることの正しい繰り返しの中にあるんでしょうね。
道は近きにありですよ。

幸せも、遠いところにあるモノでなく、近くにあるんですよね。
貧乏人ですから、そう思いたいです。
いえいえ、ささやかな幸せを体得してますよ。

幸せとは、何かと比べるモノではありませんね。
何気ない日々の暮らしの中にあると思います。
ありがたいことです。

日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。