''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

山喜本舗 駿河湾の桜えび せんべい 頂きました より。

先日、家族で静岡に行った記事を書いた時の残りです。
残りと言うのも、写真の整理が追いつかず、現在に至ります。
ブロガーとしては、まだまだ未熟です。

そんな中に、新聞記事とリンクして、今年は駿河湾の桜えびが不漁と聞きます。
その分、九州や台湾で採れるとのこと新聞記事に、驚きました。

やはり、異常気象の弊害かもしれません。
白いご飯に桜えび山盛りにして、丼形式で食べるのを夢見ましたが、夢去りました。
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土産にと、山喜本舗 駿河湾の桜えび せんべい 買って食べました。
近くの親戚の内にも、いろいろとお世話になっていますので、気持だけのおすそ分けです。

味は、桜えびのせんべいです。
美味しいです。
3歳児ゆうゆうのおやつにも、何度も登場しています。

おやつと言えば、甘い口なのに、塩家のある口に戸惑っています。
それでも、いつものマイブームの野菜ジュースとお茶を横に置いてのおやつタイムです。
保育園から帰ってから、夕食まで時間がありますので、一応家に帰れば、手洗いしてから、家でのおやつタイムです。

5時過ぎに、おやつとは、これ如何にと言われそうですが、3時にも保育園でおやつ食べています。
今の時期なら、江戸時代の時間の言い方で言うなら、七つ半ですかね。
ですから、おやつならぬ、おななと言うべきかもしれません。

何時(なんどき)と言えば、落語の世界の『時うどん』『時そば』と言う事になりますね。
もともとは、上方噺の時うどんが、明治になって、三代目柳家小さんの東京移転に伴って、時そばになったと言う説明が多いです。
原型は、いろいろとあるみたいです。

どちらにして、時間とうどんやそばの値段を、数というテーマで、滑稽にしたのは、間違いありません。 

ただ、時うどんでは、落語の噺の中で、屋号の当り屋やはずれ屋、それに出汁の特定がある所は、食い倒れの大阪人の心を擽ります。

出汁が、当り屋は、カツオと昆布、それに比べて、はずれ屋は、出汁じゃこと味の上でも、当りはずれが出ますし、うどんの茹で加減でも違いが出来ます。

関西人の少し麺の固いのが美味いとされる風潮が見てとれます。
九州の柔らかいうどんは、苦手な方が多いかもですね。
関西でも、地域は中部にまたがる伊勢うどんも、柔らかい事で有名です。
長旅で疲れた胃袋に、柔らかい伊勢うどんが、体調にもよかったと言われると、納得するしかありません。

関西でも、近鉄のターミナルで、伊勢うどんを提供する店があると聞きます。
未だ食べたことがない未知の麺類です。

麺は固めが、好みです。
どうも、うどんは、讃岐うどんが美味いと、刷り込まれています。
関西人ですが、安い茹で麺も、それはそれで美味いです。
駅そばや駅うどんも、時間のない時の忙しいサラリーマンには、いい感じの麺類です。

明治にあっても、昭和平成にあっても、令和になっても、麺類の人気は絶えないですね。
江戸時代、そばの1杯の値段と、長い間16文とする風潮がありました。
俗に、二八・16と言います。
それだけ二八蕎麦が、一般的だったと言う事ですね。

温かいそばも美味いです。
冷たいそばも美味いです。

私は、うどんよりそばの方がよく食べます。
うどんと言えば、ほぼほぼカレーうどんに限定するかもしれません。
京都で懐かしい甘キツネも、食べたくなることもありますし、好みから言えば、刻んだキツネを頼む派です。

京都では、カレーうどんにも、キツネが入ります。
もちろん、牛肉の入る場合と、選択できるお店が多いです。
京都では、かけそばやかけうどんを食べる方を見たことがないです。
その点、きつねうどんが、多いです。

それに比べると、大阪では、かけうどんをすうどんと呼んで、好んで食べる方も多いです。
この辺は、同じ関西でも、地域性が出やすい所です。
関西では、ざるそばもあっても、もりそばのある店は、少ないです。
違いは、海苔だけでしょうね。
通な関東人は、その海苔の香りも、そばの香りを邪魔すると、省かれる方が多いです。

そば、うどん、一つにしても、食への感覚の違いを思い知らされます。
それらを意識しながら、時うどん、時そばを聴くと、いろんな所に気が付く事があります。
今は亡き、吉朝さんは、年齢の時代時代で、演じる時うどんが、成長しています。
同じ演者でも、これだけ違えば、噺家の数だけ、成長の過程において、いろいろな麺類の食べ方があるもんだと、痛感します。

そんなこと言えば、静岡で、桜えびの掻揚盛ったそばが食べたかったです。
美味かったでしょうね。

ないものねだりです。
不漁と言えば、仕方ないです。
残念で、少し心残りでした。

日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。