''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

花祭り 4月8日を書き忘れて 「天上天下唯我独尊」編

4月8日は花祭りです。書き忘れてしまいました。「いけない息子でした。慈父の誕生日を忘れてしまうなんて」

日本人は仏教徒も多い国です。キリスト様の生誕のクリスマスを祝いながら、お釈迦様の生誕日を知る人は少ない。知っていたとしてもお祭りではない。静かに甘茶をかけるだけです。

若い人にも知ってもらいたいです。そんな日があったことを記憶に留めて貰いたいそう感じています。先言っておきます。今日は面白くないですよ。いつも面白くないですけど、よかったら最後まで読んでください。

花祭りとは、お釈迦さまの誕生日のことです。仏教では灌仏会(かんぶつえ)と言います。灌仏会花祭りと呼ぶのは、一般に浄土宗、浄土真宗系のお寺が多いようです。どの宗派でも呼ぶと思っておりました。一般的な行事と感じておりました。(勉強不足でした)

釈迦誕生仏像(赤子像)は、お釈迦様の誕生のお姿を表しています。この像に頭から柄杓(ひしゃく)で甘茶をかけます。近くで振舞い用にお茶を接待して頂けるお寺さんもあります。大変「あまい」です。ちょうど中国のテン茶に砂糖を加えたような味だったと記憶しています。

その仏像は「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)の言葉で知られております。

お釈迦さまは、本当の名前は姓がゴータマ、名がシッダールタと言います。
釈迦は釈迦牟尼の略で、釈迦族出身の聖者(牟尼)を意味します。ブッタとは、目覚めた人、つまり「覚者」と言う意味です。悟りを開いた人と言うことになります。

父の名は浄飯王(じょうぼん)、母の名は摩耶夫人(まや)と言います。経典の中にもで出来ます。

お釈迦さまは、シャカ族との皇太子として生まれ、将来はいずれ王様になる身分でした。シャカ族は、知能に長けた民でも有りました。国は小さいながら豊かであったようです。甘茶をかけてお参りしますが、お釈迦さまは別名「甘藷王」とも呼ばれます。甘藷とは平たく言えば砂糖です。砂糖を作る技術を持っていたのです。ですから、国も豊かで庶民の暮らしも穏やかであったのかも知れません。

また生誕の際、竜王が現れ、天から甘露の雨を降り注いてお釈迦さまの誕生を祝福したそうです。この伝説が花祭りにおける甘茶に結びついていると解説されているものもあります。

花まつりは、インドや中国でも古くから行われている行事のようです。日本では、推古天皇御世(606)に元興寺で初めて行われた記録があるようです。

お釈迦さまは、およそ2500年前、現在のネパール領内のインド国境付近のルンビニーという地で生誕しました。摩耶夫人は出産のため実家に向かう旅の途中で生まれました。

お釈迦さまが産まれおちると、地につくとすぐに立ち上がって七歩あゆみ、右手で天を指さし、左手で地を指さしたまま「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と発声されたと伝えられています。(お釈迦さまが歩かれる毎に、蓮が花開いたとも伝えられています)。(手塚治虫著の『ブッタ』ご覧下さい。こっちの方が現実的です) 蓮とお釈迦さまは縁があるんですね。

たくさんのお花はお供えするのは、この伝説に由来しているとされているものが多いです。

天上天下唯我独尊」とは「天にも地にも我より尊し者はいない」という意味です。
「人は誰でもこの世に一人だけであって予備の人間はいない。命は貴いものである。私は苦しむ人々を救うことを第一としよう」と訳されている方もおいでです。

そのほうがすっきりするようですが、私は直訳的な解釈でいいように思います。大変傲慢だと感じる方もおいでですが、天から「ブッタ」となるべくしてこの人間界に使わされたのです。当然です。ブッタになる前の人間としてのお釈迦さまの苦悩はいかばかりか計り知れません。それだけに大変重い使命でもあったのです。

それと同じように、お釈迦さまの誕生の直後に、アシタという偉大な仙人がどこからともなく祝いにやって来て、お釈迦さまの体に偉人の持つすべて備わっていることを確認したようです。そして、「この王子は、王になれば世界の王となろう。また、出家すれば世界を救済する仏陀となろう」と予言したのです。(手塚治虫著の『ブッタ』ご覧下さい。分かりやすく書いてあります)

これに父の王は悩まされたことでしょう。世継ぎですから王になってもらいたいと思ったのに違いはありません。

ここから、苦悩の日々がブッタに課されます。それてお釈迦さまになられ多くの人に救いを与えることになります。

面白いのはお釈迦さまには、多く前世記憶が伝わっています。それはおいおい書かせてもらいます。幸せな前世ばかりではありません。不幸がそこにはつきまといます。でも、その前世があればこそブッタとしてお釈迦さまになられたのです。

今日も何かの力で生かされていることに「感謝」したいです。