''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

雑誌「サライ」を読み返す 「辰巳芳子」編

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雑誌「サライ」1996年第5号に料理研究家の辰巳芳子さん


雑誌「サライ」1996年第5号に料理研究家の辰巳芳子さんの記事があります。
タイトルに「旬のものをきちんと食べている人は元気なだけでなく、人生設計もちゃんと出来る人です」と書かれています。先生、これは私についてははずれです。

その中で旬とは、との問いに「日本の食べものと食の方法は、季節の投影と約束ごとに満ちています。旬とは、その季節にその土地柄が与えてくれる恵なんです。そしてその土地柄とは、すなわち風土の生理のようなもので、人体の生理代謝といつもぴったり一緒です。だからこのふたつの生理は、いつも調子をそろえて向き合っていないと不自然さが出てくる。旬から遠ざかり、純正の味も香りも忘れていると、身体の生理が狂ってくるのは当然何です」と述べられています。

深い考えです。禅僧でも、医者でもなく料理研究家として長くやってこられた上からの含蓄のある答えです。自然の中に、食も、季節も、人間もともに一体となっている。そんなことなんでしょうか?

辰巳芳子さんと言えば、お母さんは辰巳浜子さんです。日本の食文化に大きく影響力をもった方のお一人です。その英知を受け継いでおられます。

いろいろと紹介されているのですが、たどたどしい稚拙な文章力に限界を感じます。

自然の季節を捉えることによって人としての感覚を持ち続けることを提案されています。そして、それは体自身が欲している。ですから、自然の恵みを最大限活用することこそが人本来がもつ生きる方であると感じます。そこまで、言えば言いすぎの意訳かもしれません。お叱りは充分に承知しております。

10年近く以前の記事ですが、そのときすでに食料の自給率は、いわば国の底力の象徴と考えられ、日本の農水産食材を守る意義が大切であると述べられ、その上で国産にこだわる必要はないと私見を述べられておいでです。

昨今の食に対する警鐘とも今後の方向性とも、とらえることがことが出来ます。

最後に料理家として社会還元についての問いに、
「料理人の本来の使命は、人の生命を養い、味で人を喜ばせること。ましてお年寄りや病気の方に奉仕して、喜んでいただけたら、まさに料理人冥利に尽きますね」と述べられています。

自分の使命、自分の居場所、自分の天命を感じされられるすばらしい人生観です。わたしもかくありたいです。ペーパー料理人としてすこし恥ずかしいですか、こんなすばらしい立派な人がおいでという事を一人で多く伝えたいです。その上で「自然」と「食」と「人」としての道を模索したいと考えます。

意味なく生きてるわけじゃなく、必要があって生かされているんですから、皆さんお一人お一人にも課された天命があるはずです。見つけられた方は幸せです。

日々「感謝」して、自分に課された現世の天命を実行していきいです。

最後まで読んで頂いてありがとうございます。