''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

あおによし、童子よし? 奈良を思う

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奈良と言えば東大寺

あの角(つの)の生えた童子?は「せんとくん」というのでしょうかね。良いような悪いような答えに困ります。何故あれなのか疑問はあります。要するに大学の偉い先生が企画したキャラクターであるから、それが理由でしょうね。センスが悪いです。

言いも悪いも古都「奈良」が持つ崇高なイメージとは程遠いと思います。それに仏教的にも何故童子?風なのか意味するところは分かりません。もともとのもちネタに角はやしたそれだけでしょうかね。

京都に住んでいても、奈良は一目置きます。日本人でしたら大概の方が古都を意識されるはずです。奈良公園ならびにその周辺も良く行きますが、鹿が路上を歩くそんな街世界でも少ないです。いや、ないと言えるのかしれません。観光地の一定の場所なら広島の厳島にもあるでしょうが、県庁所在地の真ん中ですよ。

すばらしいと思います。それも江戸時代も通じて長い歴史の中で続けられてこられたことに敬意を払いたいと思います。

平安時代にも古都「奈良」を意識した和歌があります。
「いにしえの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな」 伊勢大輔(いせのたいふ) 『小倉百人一首』より

昔の奈良の都の八重(やえ)桜が、今日は今の都の宮中(九重)に色美しく咲きほこって、より一層の今の都が輝いていることですね という意味です。

すこし、自分風にデホルメしていまいましたが、だいたいの意味は通じるかと思います。けふは、きょう(今日・京)とと読んでくださいね。

九重(ここのえ)は、宮中を指し言葉らしく、もともと中国の王城門が九重に作られていたことに由来するものらしいです。

この歌の作者 伊勢の大輔は奈良から献上された八重桜を宮中に献上する役目を受けて、時の摂政「藤原道長」から帝に献上するとき、即興で歌を添えよとその場でいわれ、とっさにその場でこの歌を詠んで桜の花を献上したのです。

才女なんですね。頭のよさに胸キュンとなります。そう面持ちは、柴咲コウならもっとキュンでしょうかね。

もともと、桜を献上するお役は、紫式部だったようですが、紫式部がその役を譲ったと伝わっています。女の戦いかもしれません。「あんた、いっぺんやってみんさいよ」てとこでしょうかね。こんな下品なもの言いようはしませんが、それとも後輩思いの式部の度量の広さであったのか、私には分かりません。

でもこの歌の出来に立ち合わせた人々は、喝采を贈った事でしょう。

この歌には隠され意味があります。奈(七)良、八重桜、九重と数字が隠されています。そこまで考えて即興で歌を詠む素晴らしいじゃないですかね。

もともと、『万葉集』に「あおによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今さかりなり」という歌があるのでこれを踏まえ上で詠んだんでしょう。(『鑑賞小倉百人一首』水田潤著 数学研究社 を参照致しました)

なんとも奈良には情緒というか情感が豊かです。ゆっくりと時間が流れているように思われます。

たまに百人一首読み返してみるのもいいかもしれません。大人の時間過ごせそうじゃないですか。

今日も一日「感謝」を持ちたいです。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。