よくお寺それも、禅寺系の門脇の石に刻まれている句です。
「不許葷酒入山門」と達筆で書いてあります。
この石は戒壇石(かいだんせき)と呼ばれるらしいです。
初めて知りました。
「くんしゅさんもんをいるをゆるさず」と読みます。
「いる」を「はいる」と書かれているものもあります。
葷とは五葷を表しています。
'''五葷'''とは「ねぎ、にら、のびる、らっきょ、にんにく」などの精のつく食材です。
(この5つに決まっているわけではありません。諸説あります。)
酒は、もちろんお酒です。これらを寺内に持ち込むことを禁止した意味です。
精とは性力でもあり、精が強いものを食べると邪念が起きて修行の妨げになる。
もちろん、お酒も同様です。
ですから、邪念をわかせず、仏門だけに帰依する。
それが修行なんでしょうね。
私なんかは邪念の中で修行してこそ、本当の修行だと思います。
しずかな中で本を読む。
人が通ったと言えば、「うるさい」と腹立ち、犬が吠えたと言って文句を言って腹立てる。
一体いつ本を読むと言うのか?
通勤電車の中でも本は読めますし、勉強だって出来ます。
日常世界では、邪魔が入るのが普通です。
うまくいかないのが普通です。
その中で自分を高めるように精一杯生きています。
邪念のない人はいないでしょう。
邪念もいいじゃないですか。
禅寺でもお酒は「般若湯」(はんにゃとう)と呼びます。
もともと寺にないなら、そんな言葉もないでしょう。
それに符牒(ふちょう)で読んだりしないでしょう。
聞かれたらまずいから隠語にするわけでしょうからね。
私は邪念だらけです。
でも神仏は尊く思っていますし、痛風持ちですが元気で楽しく過ごさせてもらっています。
プチ幸せです。
金銭的なことは別にしても、「幸せ」・「不幸せ」は大抵「気持ちの持ちよう」ですよ。
上を見ても下を見てもきりがない。
元気で楽しく一日が過ごせることが幸せです。それが何よりです。
そんなわけで'''五葷に食し、酒を食らう。'''
極楽です。こんなところに極楽がありました。
「感謝」の気持ちは忘れずに、一日が過ごせたらそれが私の幸せです。
今日は私がよくお邪魔する「きらく」さんのプログに野蒜(のびる)が紹介されていたのでこのテーマ思いつきました。「きらく」さんに「感謝」です。
今日もありがとさんです。