''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

花はがんばって咲いたりしてません!

花は何故咲くのか?
最近梅の花が咲いているのを見ました。もうすぐ暖かくなってくれば桜の花が咲きます。

平安時代中期まで、花といえば「桜」でなく「梅」を指すものであると何かの本で読んだことを記憶しております。梅の花も桜の花も美しいものです。でも、人気のない花も美しい。野に咲くタンポポも好きな花です。

芭蕉の句に「よくみれば薺(なずな)花さく垣根かな」というのがあります。薺はぺんぺん草という方が分かりやすいかもしれません。雑草です。七草粥にも入る草でもあります。でも、やっぱりどこでも取れる雑草です。種が飛んで来て垣根に咲いたんでしょう。

小さいですがよく見ればきれいな花です。取り留めのない花です。梅や桜には適わないかもしれません。でも、梅や桜を意識しては咲きませんし、梅や桜も貴方には負けないよと競って咲いているわけではないです。

禅の言葉、禅語に「百花誰が為にか開く」というのがあります。花は自分できれいと思って咲いているわけでもなく、生きているその姿が美しいのかも知れません。

自分自身も何かに比べて生きるのでなく、自分が自分として一日一日精一杯生きることを旨として生きたいと考えています。結果は後からついて来るかもしれませんし、来ないかもしれません。計算で生きているわけではありません。

一日の終わりに今日充実した一日であったか、自問自答して一日が終えられたことに感謝して一日を終わりたいです。生きてるわけでなく何かに何かの力で生かされていることに実感して感謝したいです。

病も同じです。やるべきことをやる。自分の存在価値を問い直す。すこし、気分が変わるはずです。

気の滅入った時、『禅語の茶掛 一行物』(芳賀幸四郎著 淡交社) をよく読み返します。勇気と元気がそこには詰まっています。感謝の気持ちを見つけることが出来るからです。

自分自身を見直す時間を作れます。是非にお薦めです。