''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

大燈国師(だいとうこくし)と瓜(うり)

大燈国師(だいとう)という高僧をご存知でしょうか?
国師というからは、朝廷から特別に認められた高僧であることは分かります。
でも、どの方でもこの方の関係はご存知です。

京都の大徳寺を開かれた方です。
でも、臨済宗の高僧としてでなく面白いお方のようです。

簡単に紹介しましょう。
興禅大燈国師 本名 宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)(1282- 1337)正燈・興禅大燈という7つの国師号を後醍醐・花園の両天皇から贈られています。

大徳寺(だいとくじ)は、京都府京都市北区紫野大徳寺町にある禅宗寺院で、臨済宗大徳寺派大本山である。
山号を龍宝山と称する。
正中2年(1325年)に正式に創立されている。

室町時代以降は一休宗純をはじめとする名僧を輩出、大徳寺茶の湯の世界とも縁が深く、武野紹鴎千利休をはじめ多くの茶人が大徳寺と関係がある。
また、芳春院(ほうしゅんいん)(まつ) 加賀前田家の墓所もある。(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より一部抜粋)

京都観光でも、多くの方が訪れるお寺です。
名前や一休さんはご存知でしょう。
茶道とも深い縁があり、今なお多くの参詣が絶えることがありません。

でも、この方とてもユニークです。
26歳で印可を受けるが、その後20年間、京都で乞食行をしていたんです。
今で言うホームレス的な生活です。

人生50年という時代に、46歳ぐらいまでホームレスですからすごいです。
ちゃんとした高僧です。
どこかの寺の住職なら、すぐにでも出来たはずです。
でも、しなかったんですよね。

ホームレス時代に三条の河原で暮らしていた。
それを聞いた時の天皇がこの僧と会いたくなって何度も何度も使者を立てて招いた。
金子や品をちらつかせて招いても、一向に来てくれない。

そこで知恵者が天皇にこう言います。

「あの方、瓜がお好きです。瓜を食べに来ませんかと招かれたらおいでになりますよ」

この言葉に大燈国師は、天皇の招きを喜んで受けたんです。
きっと難しい話はせずに、世間話をしながら瓜を食べたんでしょう。

この瓜は、やっぱり甘い瓜だったんでしょうね。
金品より瓜を採った大燈国師さんすごい人ですね。

修業なら山にこもってやる方がかっこいいじゃないですかね。
でも、山でなく人のいる中でこそ、本当での修業が出来たんだと思います。

弘法大師が「仏法はるかにあらず、心中にして即ち近し」といっておられます。
「悟りは、在家の普通の暮らしの中でも開ける」という意味らしいです。(『サライ』1997年24号参照)

特別な修業でなくても日々の生きていく生活の中でも、仏の悟りは開けるというのは、すばらしいです。皆さんにも自分にも希望が持てますよ。
やっぱり、日々生きていくのは、すべてが修業なんですね。
食事も修業ですよ。おろそかにしてはいけないですね。

つらい修業でなく、美味しい修業ならがんばってやれそうです。
そこには「感謝」というスパイスも振って下さい。

長々として取りとめもないプログに、最後までお付き合いくださってありがとさんです。