''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

紫陽花が綺麗に咲いています より。

朝からいいお天気です。
昨日も、近くの疎水を歩いていました。

すると、よく目にするのは、紫陽花の花です。
この時期、大変美しいです。
土の色によって、多少紫陽花の色が変わるのは、先日も記事にしました。

それにして、色とりどりです。
白い紫陽花も綺麗です。
でも、やはり青い紫陽花でしょうね。
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発色のいい紫陽花を見つけては、携帯電話のカメラで「ハイ、チーズ」と独り言いいながら、写真を撮っていると、子供から変な顔で見られます。
ちょうど落語の「世帯念仏」の長屋の親父みたい、ちょっと軽くいっていますからね。

水の花は、年中楽しめます。
桜も、バラも、目連も、近くの人が銘々に育てています。
この時期、疎水の水が、満々とたたえています。
水の流れも、意外とあります。

買い物帰りに遠回りして、疎水から自宅に向かいます。
ほんの少しの遠回りですれどね。
いつもの違う風景に、気持ちが癒されます。

水の恵みは大きいです。
にもかかわらず、雨の一日は、どうも気持ちが落ちますね。
あの雨音が、心をざわざわさせます。
深夜の雨音で目が覚める時があります。

今年の夏は、少しにわか雨でも、日中降れば節電対策にもなりそうです。
打ち水は、いいですよね。
玄関に、打ち水すれば、玄関から裏庭に風が通ります。
その心地よい自然の風です。

エアコンの科学的な風は、少し苦手です。
子供の頃、特にクーラーの風は苦手でした。
今でも、エアコンは苦手かもしれません。
自然の風に勝つ風はないです。

禅語の中に「下載清風」(あさいのせいふう)というのがあります。

積荷満載だった船が、荷物を降ろした後には、風に吹かれて軽やかに航海するという意味でしょうかね。
碧巌録45則り「万法帰一」(ばんぽういちにきす)に由来するようです。


あなたが降ろすのはこころの荷物です。
こころの中の迷いやこだわり、嫉妬心や執着心、心配事も全部港に降ろしたら、どんなに気持ちがいいでしょう。

私たちも、日々いろんな大きな荷物を背負って暮らしています。
その荷物を置いて、肩の荷から開放されれば、どんなに涼やかでしょうね。

「下載清風」には、「誰にか付与せん」という言葉が続きます。
誰にも伝えることが出来ないという意味のようです。
その肩の荷を降ろせば、人にも伝えることが出来ないほど、清々しい気分ということです。

日々の暮らしで、いろんなものを背負います。
もちろん、心の中にも、ストレスはいっぱいです。

苦の原因は「欲」であったり「迷い」であったりして、心の不安定に繋がる。
禅の中では、悟りくさい仏見・法見など一切を放下しきった大無心の境涯をさしているようです。

悟りの境地すら、捨て去ると言えば、凄すぎることですね。
ありとあらゆる状況の中、すべてを捨て去った境地、それが「無」の境地なんでしょう。
最高の境地です。
そう思えば、深い精神世界です。

現実世界では、なかなか出来ません。
しかし、特別なことでなく、何か心の開放される時間は必要です。
好きな音楽を聴いたり、映画を見たりするのも、一つかも知れません。

でも、そんな時間や心のゆとりがない方も居られます。
特別なことでなく、近くに咲く紫陽花の花を見て、天の輝く月を見て、その瞬間だけでも、背負った荷物を下ろして、清々しい気持ちを感じることは出来るはずです。

日々の暮らしの24時間が、すべて「苦」ではないはすです。
その隙間に、食卓で家族の顔を見て、心癒されることもあるはずです。
就寝前に、読まれる愛読書に、心満たされることもあります。
お好きな肴を前に、晩酌タイムも心の開放かもしれません。

心に涼やかな風を吹くことも必要です。
あまり深く考えないで、明日は明日の風が吹く、位の心のゆとりがあれば、見える世界もちがうかも知れません。

現代社会、自殺者が3万に言うのが、10年以上続いています。
仕事に疲れ、社会に疲れ、経済的な問題に疲れ、自らの命を絶つ。
そんなことになる精神状況が冷静な時に、心の荷物を一瞬だけでも、下ろすことができれば、そんなことにも繋がらないでしょうね。

東日本大震災で、多くの方が亡くなられました。
生きたい思ってみても、それが出来なかった。

運命と言えばそれまでですが、何か命の尊さを、多くの人に知らせる天命があったと思います。
そうでないと、罪なき子供さんまで、黄泉の世界に連れて行かれた意味が分かりません。
何ゆえ、罪なき多くの人の命が奪われたのか、自問自答します。

その同じ人の命を自ら絶つと言うのは、仏の世界では認められないことです。
この現世は、仮の世界です。
しかし、仮の世界も修行の場、自ら終わらせることは出来ません。
この現世をまっとうした者のみが、来世に繋がります。

花を見て、美しいと感じられていますか?
月を見て、美しいと感じられていますか?

人の心のゆとりがないと、冷静な判断を持つ事が出来ません。
どんな暮らしの中でも、花見ることは出来ます。
その瞬間だけでも、心の迷いもなくなります。

時間の問題ではありません。
1分でも、2分でも、その心の荷物をその場に置くことが必要です。

すると、気分が変わります。
仏の世界でも、遠くに旅する旅人が疲れ果てた時、仏の神通力で「仮の城」(化城宝処)を作り、疲れた体を休め、その後に気分を満たして、目的地までたどり着いた話もあります。
(化城喩品第七 法華七喩の一つ)

現実世界に、私のような凡夫には、城を作る神通力はありません。
でも、日々の暮らしの中で、城に変わる物を見出すことが出来ます。
時に花であったり、月であったり、慰労の晩酌であったりします。

日々の暮らしの中、ささやかな幸せを見つけます。
ありがたいことに、私は仏縁を頂けています。
ありがたいと感謝しています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、紫陽花みたいコロコロ変化(へんげ)した話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。