朝からパラパラしています。
霧のような雨です。
やはり、台風の影響があるようです。
被害がなければいいですがね。
霧のような雨です。
やはり、台風の影響があるようです。
被害がなければいいですがね。
関東地方には、水の確保のために、まとまった恵みの雨であって欲しいです。
水なくして、作物も育ちません。
人も水なくして生きられません。
水なくして、作物も育ちません。
人も水なくして生きられません。
日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあると、言っています。
なかなか単調な生活の中では、刺激がないのかもしれません。
でも、平凡な暮らしの中にこそ、平穏な安堵感があるものです。
なかなか単調な生活の中では、刺激がないのかもしれません。
でも、平凡な暮らしの中にこそ、平穏な安堵感があるものです。
ここ数ヶ月、刺激をなくしていました。
あれだけ愛用していた一味唐がらしを、ここ数ヶ月使っていなかったですね。
一味好きのイラチーとしては、ものなりないと思うこともありましが、何故か手にしていませんでした。
刺激が刺激を求めます。
あれだけ愛用していた一味唐がらしを、ここ数ヶ月使っていなかったですね。
一味好きのイラチーとしては、ものなりないと思うこともありましが、何故か手にしていませんでした。
刺激が刺激を求めます。
鍋のシーズンになって来た、やはり一味唐がらしは必要になって来ました。
ポン酢に一味を振らないと、何やら物足りないと感じます。
入れ過ぎないように注意しています。
一番使用が多いハウスの一味唐がらしです。
一時は、業務用の一味唐がらしまで、手にしよう思っていましたからね。
あれは、危険です。
大量の一味を入れて、体を悪くしそうです。
ポン酢に一味を振らないと、何やら物足りないと感じます。
入れ過ぎないように注意しています。
一番使用が多いハウスの一味唐がらしです。
一時は、業務用の一味唐がらしまで、手にしよう思っていましたからね。
あれは、危険です。
大量の一味を入れて、体を悪くしそうです。
薬味ですからね。
うどんやそばの薬味と言えば、しょうがやネギが多いです。
基本、体にいい食材です。
山葵のように、防腐効果を狙ったモノもあります。
うどんやそばの薬味と言えば、しょうがやネギが多いです。
基本、体にいい食材です。
山葵のように、防腐効果を狙ったモノもあります。
剣術の修行、殴られても、「痛い」と言わずに「ありがたい」と言わないといけないのが、吉岡剣法です。
痛い思いをすれば、そこから攻撃を避けようとして、剣術の腕前が上達する。
だから、痛い言わずにありがたいと言うという無茶苦茶の言い分です。
痛い思いをすれば、そこから攻撃を避けようとして、剣術の腕前が上達する。
だから、痛い言わずにありがたいと言うという無茶苦茶の言い分です。
もうすぐ新米のシーズンです。
1年の苦労の結晶が、米粒になります。
1年の苦労の結晶が、米粒になります。
この台風で、その苦労が無駄になることも多いです。
稲穂が風で倒れれば、水に浸かった稲穂が発芽してしまう事もあります。
水に浸かった米は、ほぼ商品になりません。
稲穂が風で倒れれば、水に浸かった稲穂が発芽してしまう事もあります。
水に浸かった米は、ほぼ商品になりません。
1年に数度来る台風も、農家にとっては、神頼みする思いです。
収穫の秋ですからね。
そして、頂く新米は、これまたありがたいです。
収穫の秋ですからね。
そして、頂く新米は、これまたありがたいです。
美味しい米は、おかずが要らないほど美味いです。
本当に焚きたてのごはんは、美味いです。
本当に焚きたてのごはんは、美味いです。
いい米は、冷めても美味いです。
おにぎりの美味さは、格別です。
塩だけのおにぎりも、本当に美味いです
日本に生まれてよかったと思う瞬間でもあります。
おにぎりの美味さは、格別です。
塩だけのおにぎりも、本当に美味いです
日本に生まれてよかったと思う瞬間でもあります。
1986年の映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』を思い出します。
翻訳させたら、遊郭に連れて行ってやろうと、龍馬が同士と約束します。
その色気に負けて、徹夜続きで翻訳を完成されて、念願の遊郭で遊んでいる最中です。
翻訳させたら、遊郭に連れて行ってやろうと、龍馬が同士と約束します。
その色気に負けて、徹夜続きで翻訳を完成されて、念願の遊郭で遊んでいる最中です。
どこ子にするか、選び放題です。
でも、その翻訳した同士は、ごはんを無心に食べています。
でも、その翻訳した同士は、ごはんを無心に食べています。
「こんなうまいもん、はじめてじゃ、何と言う食いもんじゃ?」と龍馬の尋ねます。
「これが、米じゃ」
三味線や踊りをそっちのけで、一生懸命、白いごはんだけを食っているシーンの印象が強いです。
毎年このシーズンになったら、同じようことを記事にしています。
「これが、米じゃ」
三味線や踊りをそっちのけで、一生懸命、白いごはんだけを食っているシーンの印象が強いです。
毎年このシーズンになったら、同じようことを記事にしています。
米を作る百姓と言えど、日常は粟稗(あわひえ)や麦の雑穀を主食にしている事が多いです。
でも、何か行事があった時、米を食えることがありました。
しかし、下級武士、土佐高知なら、下士などは武士であった武士でないような暮らしでしたからね。
白い米を食うような機会が、一生涯なかったのでしょう。
でも、何か行事があった時、米を食えることがありました。
しかし、下級武士、土佐高知なら、下士などは武士であった武士でないような暮らしでしたからね。
白い米を食うような機会が、一生涯なかったのでしょう。
同じ人に生まれてきても、ここまで貧富の差が出ると、いろいろ思うことも多いのか、それともそんな疑問を持つことも許されないのか、どちらかでしょう。
そう思えば、現代社会はいいです。
貧富の格差は、当然にあります。
しかし、大富豪も、貧乏人も、ごはんは食べられます。
最高級のコシヒカリか、こしひかりの数パーセント入ったブレンドコシヒカリかの違いはあれど、日本ならご飯を食べた事がない人は、まずいないでしょう。
貧富の格差は、当然にあります。
しかし、大富豪も、貧乏人も、ごはんは食べられます。
最高級のコシヒカリか、こしひかりの数パーセント入ったブレンドコシヒカリかの違いはあれど、日本ならご飯を食べた事がない人は、まずいないでしょう。
大金持ちと言えども、日に10食は食べられません。
食に贅沢すると言っても、限界があります。
毎日、ご馳走ばかり食べられないのが、現実です。
食に贅沢すると言っても、限界があります。
毎日、ご馳走ばかり食べられないのが、現実です。
あっさりと、漬物と一緒に茶漬けを食べたくなることがあります。
お金持ちの食生活と言えども、人間ですから、そんなものです。
お金持ちの食生活と言えども、人間ですから、そんなものです。
毎日、フォアグラばかり食べられないです。
それ以上に、たまにフォアグラが、これだけという位しか、入ってないから、ありがたがるだけで、それだけを食べて、本当に美味いものではないように思います。
あっさりしているものが、本当に美味いものです。
それ以上に、たまにフォアグラが、これだけという位しか、入ってないから、ありがたがるだけで、それだけを食べて、本当に美味いものではないように思います。
あっさりしているものが、本当に美味いものです。
『菜根譚』(さいこんたん)の一節「醲肥(じょうひ・濃い酒、肥えた肉)辛甘は真味に非(あら)ず。真味は只だこれ淡なり」を思い出します。
淡とは、あっさりしていると言う意味です。
そういう意味では、贅沢であって、毎日で食べられるのは、鍋ですね。
それも、美味いというなら、「ふぐ」です。
淡とは、あっさりしていると言う意味です。
そういう意味では、贅沢であって、毎日で食べられるのは、鍋ですね。
それも、美味いというなら、「ふぐ」です。
牛肉も、あまりサシの入った部位は、脂の味しかしません。
すぐに飽きます。
肉の味のする部位こそ、牛肉の醍醐味です。
すぐに飽きます。
肉の味のする部位こそ、牛肉の醍醐味です。
かしわの水炊き、これから美味くなります。
鍋の楽しめるシーズンになって来ました。
もちろん、懐寂しい時は、豆腐に、ホウレン草に、安い豚肉でも入れれば、れっきとした「常夜鍋」です。
毎日でも、食べられます。
鍋の楽しめるシーズンになって来ました。
もちろん、懐寂しい時は、豆腐に、ホウレン草に、安い豚肉でも入れれば、れっきとした「常夜鍋」です。
毎日でも、食べられます。
日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁に感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいです。
ありがたい仏縁に感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事に生きたいです。
最後まで、ぴりりとした辛口の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。