''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

先日の父の日の贈り物 大七純米生酛(きもと) を頂きました より。

昨日の朝の地震の影響が、これほど大阪に大きな影響が出るとは、予想外でしたね。
地下鉄も止まり、電車も止まり、切り替えてスクーターで仕事場に向かいましたが、道路も渋滞ばかりでした。
地下鉄の駅周辺に立ち止まったままの大勢の人を、あちこちで見かけました。
大変な一日になりました。

震源が、高槻茨木辺りとなれば、京都にも大阪にも被害は出ますね。
ひょんなことから、京都伏見から大阪の地にやって来る御縁がありました。
続いて、生涯独身だと思って暮らしていたのに、49歳で嫁がやって来て、50歳になったら、幸運にも子供授かりました。
不思議な観音様の御縁を頂いています。

そして、先日の日曜日に、人生3度目の父の日を無事に迎えることが出来ました。
ありがたいことです。
今では、子供なしの生活は考えられません。

独身も悪くはなかったです。
子供を得ての暮らしは、不便も多くあります。
もちろん、自分を犠牲にしないといけない事もあるのも事実です。
でも、子供優先の暮らしは、嫌ではありません。

掛け替えのない我が子と過ごす時間は、独身での暮らしの中で感じることが出来ない満足感がありますね。
ささやかですが、幸せを噛みしめている所です。

我が愛読書『禅語の茶掛 一行物』の著者・芳賀 幸四郎私的な感覚で言えば、「人生とは、味わうものでなく、味わい尽くすもの」なのかもしれません。
もちろん、その味は妙味ですから、旨み、甘味でけてなく、辛かったり、苦かったり、それらの味を含んでいます。
その上での妙味なのでしょう。

「人生捨てたものじゃない」とよく聞きますが、ある意味今の自分を、数年前まで予想が出来なかったと言うべきでしょう。
このブログを始めた10年前には、想像していた世界とは、全く別物ですね。
私が、仮に見聞色の覇気使いでも、10年先の未来は見えないと思います。
もちろん、見聞色の覇気の使えない私としては、5分先の予想も出来ませんからね。

まだまだ修行が足りません。
そんな新米ほやほやの父ですが、日々子供の成長を楽しみに生活しています。
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そんな父の日に、嫁からのプレゼントです。
大七 純米 生酛(きもと) です。

まだ、呑まないまでも、美味さは覇気で分かります。
美味いに決まっています。
冷で頂いても、燗にしても美味いです。

刺身、焼物、煮物、酢の物と肴は、選びません。
塩で呑むと言う通ではありませんので、食材を選びますね。

先日、なまり節で、酢の物を作りました。
塩した胡瓜とアオサとなまり節で、甘酢にしました。
この時期、日本酒の肴には、最適です。
佐藤隆介編『池波正太郎鬼平料理帳』の夏の部に、「生鰹節(なまりぶし)」が出て来ます。

この父の日に頂いた大七で、何を肴にしようかと思案中です。
ありがたいことです。

日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。