昨日に続いて今熊野からです。
ワールドカップといい、日本のサッカーのシンボルにもなっていますので、ご存知の方も多いですよね。
あのヤタガラスさんがこの神社のシンボルでもあります。

この神社の絵馬ももちろんヤタガラスさんです。
霊験新たか気持ちになります。
大変格式の高い神社さんです。
あのヤタガラスさんがこの神社のシンボルでもあります。

この神社の絵馬ももちろんヤタガラスさんです。
霊験新たか気持ちになります。
大変格式の高い神社さんです。

藤原定家卿の和歌に
「千早振る遠つ神代の梛の葉を 切りに切りても祓(はら)いつるかな」
と呼ばれるように「なぎはらう」に縁がある平和と幸福をもたらす樹という意味があれようです。(神社説明書きより)

この神社もう一つのことでも有名です。
なんと書いてあるのか分かりにくいですが、「能」と書いてあります。
この地が「能」の発祥の地と言っても言い過ぎではないです。
観阿弥・世阿弥が三代将軍足利義満公の前で始めて能を舞ったのがこの地ということになっています。

単なる猿楽として踊りを芸術として、後世の芸能として高めた功績は偉大です。
それを単なる見世物から芸術として才を見つけた義満公も偉大な人物です。
この方の子孫が格闘家の武蔵さんとも聞きました。
でもアニメに出るような人物とは違います。
もちろん、義満公もあのような人物とは違うと思いますね。
でもアニメに出るような人物とは違います。
もちろん、義満公もあのような人物とは違うと思いますね。
京都に、室町通りというのがあります。北南に延びる通りです。
それに政務する場所があった事に名前の由来があります。
第12代将軍の足利義晴の頃には、同志社大学寒梅館付近にあったようです。
時代と共に場所も移動しているようです。
それに政務する場所があった事に名前の由来があります。
第12代将軍の足利義晴の頃には、同志社大学寒梅館付近にあったようです。
時代と共に場所も移動しているようです。
道の両極を究めて聖人の言葉です。
人としての極意が全く逆の結末です。
人としての極意が全く逆の結末です。
この辺は仏の世界と似ています。
待機説法(たいきせっぽう)ですね。
待機説法(たいきせっぽう)ですね。
人によって諭し方も違えば、教える手段も違う。
一人一人の個の立場に立って法を説かれます。
一人一人の個の立場に立って法を説かれます。
現代は個の時代、一括(ひとくく)りでなく、個性の時代です。
現代にも通じます。
道を究めた人物が、その果てに見たものとはどんなものでしょうね。
興味があります。
現代にも通じます。
道を究めた人物が、その果てに見たものとはどんなものでしょうね。
興味があります。
その上で、日々の生活をどう捉えるのか?
利休居士の「一期一会」の精神とは?
利休居士の「一期一会」の精神とは?
毎日が特別、一瞬一瞬が特別の世界に誘(いざな)って頂けるような心持ちです。
凡夫の私は、それだけ精神が強靭ではありません。
凡夫の私は、それだけ精神が強靭ではありません。
これだけの内容豊富な神社は、京都にはたくさんあります。
しかし、街中にひっそりとした神社がここにあります。
日本の歴史の中で影響があったようにも感じます。
しかし、街中にひっそりとした神社がここにあります。
日本の歴史の中で影響があったようにも感じます。
その歴史をこの大樟はじっと見守って来ました。
感慨深いです。
その前の縁台に腰掛けて、歴史の声に耳をすませます。
感慨深いです。
その前の縁台に腰掛けて、歴史の声に耳をすませます。
今ここに私が座っているのも神々のご縁です。
ありがたいと感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがたいと感謝の気持ちでいっぱいです。
最後まで長々お付き合い下さいましてありがとさんです。
こころよりお礼申し上げます。
こころよりお礼申し上げます。