''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

メリー・クリスマス、イエスの生誕と、東方の三博士 より。

今日は朝から寒かったです。
雪の地方もあったようですね。
今日もいつものように4時過ぎに起床です。
やはり、疲れがたまります。

明日はゆっくり出来るので、今晩は呑みます。
クリスマスイブと言えば、私にとってはシャンパンを飲む日です。
クリームシチューでも、作ります。
そして、簡単なオードブル的なおつまみと、そしてジャンパンです。

クリスマスイブですから、やはり、特別な日という事になります。
私は、仏教徒ですから、宗教的な特別な日ではありません。

ただ、宗教ですから、他の宗教をけなすことは、良くないと思います。
神もしくは主たる存在である以上、そこは尊ぶ必要はあるでしょう。
静かに手を合わせます。
こんな日ぐらい平穏であって欲しいです。

他の宗教にも、多少の知識はあります。
学生時代、宗教学という授業がありました。
その担当の先生の分野は、イスラムです。
キリスト教の大切な日にも、イスラムの話もないでしょうがね。

イスラムと言うと、ちょと怖いイメージがありました。
しかし、宗教学で習ったイスラムは、大変良識のある科学的な良い宗教だと感じましたね。
イスラムの民が、神として崇拝する存在を、尊重することは、日本に於いても、お互い良い事だと思います。

今日は、クリマスですから、他の宗派や宗教でも、畏敬の念で穏やかな過ごしたいです。
日本は、何でもかんでも楽しみに出来る民族です。
ほとんどが、キリスト教徒ではありませんが、子供の頃からやはり特別な1日でしたね。
家族団らんの夕飯をイメージします。
クリスマスケーキと、シャンメリーで乾杯です。

( ^^)/▽▽\(^^ ) (´∇`)<Merry☆Christmas

子供ながらに、ほっとする一日です。
そこには、父も母も居ましたからね。
裕福ではなかったと思いますが、人並みの幸せを感じられたと感謝しています。
日本中が、ホッとする日でもあります。

さっき帰ってきましたから、今夜も慰労のシャンパンになりそうです。
シングルベルという事になりますね。
手酌酒です。

それでも、テレビでもゆっくり見ながら、時間が過ごせるのは、ありがたいです。
ささやかな幸せを感じます。
ありがたいと仏縁に感謝します。
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エスの生誕には、東方の三博士が関係します。
近くの教会で、飾りつけをされています。
真ん中の生まれた子供が、イエスですよね。
もちろん、答えは「イエス」です。

後ろの三人が、東方の三博士です。
東方の三賢者とも言います。
過去に記事にもしています。

今月の私のサブテーマは、「赤穂浪士」です。
赤穂浪士の吉良家の討ち入り以降、その扱いに苦慮します。
将軍綱吉公は、助命してやりたいと考えています。
ただ、事の起こりは、将軍あなたの短慮の結果です。

5万3千石という城主を、意図も簡単に即日切腹の処置がまずかったです。
それも、庭先で切腹など考えも付かない処断となりました。
その上、喧嘩両成敗の武家の作法にも、反する片手落ちが、事の始まりだったのに、忠臣と言うことで、一番喜んだ人物でもあります。

そこで、三人の賢者に意見を参考にしてみましょう。
エントリーナンバー・1番、林大学頭信篤です。
今で言うと、文部科学大臣・兼・東大学長です。

幕府の知能とも言えます。
この方は、赤穂浪士の助命の考えです。
切腹の処置に対して、一節述べています。

四十六人、斉(ひと)しく刃に伏す 上天なおいまだ忠情を察せず

ちょっと言いすぎかもしれません。
今度は、あなたが処罰てれるかもしれませんよ。
しかし、なかなか芯の通った御仁です。

エントリーナンバー・2番は、室鳩巣です。
当時は、加賀藩に使えている存在です。
何となく助命の意見のようです。

後に、正徳元年(1711年)、新井白石の推挙で、江戸幕府儒学者となる。徳川家宣、家継、吉宗の3代に仕え、幕府より駿河台に屋敷を与えられ献策と書物の選進、吉宗期にはブレーンとして享保の改革を補佐する。(ウィキペディア参照)

エントリーナンバー・3番は、荻生徂徠です。
側用人柳沢吉保の家来です。
この方が、切腹の処断の原動力になったと言えます。
なかなかの苦労人です。
市政の中で、学者として暮らしていました。

しかし、経済的な困窮しても、食べるものがなかったので、豆腐屋に残ったおからを貰って暮らしていたこともあったやに、聞きます。
あくまでも、浪曲講談の類です。

後に、この恩を忘れず、大火に巻き込まれて難儀をしていた豆腐屋夫婦に、見舞金をすぐに届けています。
貰った豆腐屋は、何のことかわかりません。

とりあえず、助かったでしょうね。
すぐに生活できるように手配もしていたように聞きます。
なかなかの人情家です。

その徂徠が出した決論は、忠義の仇討ちでも、法に反した振る舞いである。
政道を正す。
義より「公」を主張した人物です。
この答えに、学者でもある将軍綱吉も納得しました。
そして、切腹の沙汰が決定です。

46人の意義はありません。
もともと、吉良の首級を上げれば、切腹するはずでしたからね。
しかし、その場で切腹せずに、大目付に自首して、信を問う。

これが内蔵助の幕府に対する処断です。
政道を正す。
喧嘩両成敗と浅野家の再興を、かけた謎かけです。
それを、解いたのが荻生徂徠でもありました。

後に、浅野大学は、500石ながら浅野家が再興されました。
異例の出来事だと言えます。
5万石が、100分の1の500石ですが、奇跡だと言えます。
なかなかの知恵者の賢者は、実は内蔵助だった言えます。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたいと感謝して暮らしています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、等価交換の賢者の大石の話に、お付き合い下さいして、心よりお礼申し上げます。