''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

王朝文化から消えた匙(さじ)

平安時代の初め頃まで、食事の際に箸だけでなく匙(さじ)も使われていました。

韓国などでは今でも使われていますので、大陸文化の影響です。ところが、日本が日本らしくなってくると、この匙が無くなって来るのです。

匙(さじ)は、現在のスプーンとは少し違います。薬を扱う医師(くすし)、現在の薬剤師さんが用いるような計量器具でしょう。医師が匙を投げるという匙です。

この時代の匙は、ものを和える味付けをするといった風に使っていたと考えます。時に汁物を口にしたかも知れませんが、液体をすくい取る程の用量はすくえません。

乾物ものが多くを占めていました。干したあわびや貝、塩漬けした魚などが多いようです。再現された平安時代の食事を見ますと塩分が多く、水で戻したものもありますが、現代に比べて相当硬いものを食していたと思われます。

京都岡崎の料理屋「六盛」では、平安建都千二百年を記念して「創作平安王朝料理」という平安時代の貴族の正餐を再現されています。こちらは儀式用の食事です。普段の貴族の食事はもっともっと簡素かと思います。

平安時代の最初にはまだ大陸的な要素がありました。箸も匙も金属製、銀製のものを使用していました。

銀は食事に毒をもったときに、銀の色合いが曇ると言われ朝鮮では今でも食器や箸に使われています。そのため温かいものは熱っくて持てないので、食器は手で持って食事することはマナー違反とされています。

この時代には銀製品の食器とそうでない食器二種類が使われていたと考えます。しかし、箸と匙は依然として銀製品でありました。

日本では徐々に金属製の食器が廃れていったと思われます。

まずその一つには日本の気候が湿気が強いことと塩気の強い食事であったことがあげられます。それにより銀にも錆が来て長く使用することが出来なかったことが上げられます。

次に銀の色合いが日本人の食事の感覚と合わなかったことも上げられます。銀製品にごはんやあわびや焼き魚では色合いが単調で豪華さが感じられません。平安時代の食事はあまり味付けがされず、食べる段になって食べる人が塩、酢などで味付けて食べていました。なおさら色合いが乏しいです。

先ほども記載しましたが、全体的塩分が多く、美味しい食事というよりは、見た目が華やかな食事が、貴族の食事です。品数を多くして豪華さをアピールする。

数が多いと華やかなことから、「おかず」という言葉の語源らしいです。今は一品でも「おかず」です。

この時代のお酒も甘い甘いお酒です。糊状でとろりとして、まるでジャムのようです。また、アルコール分も低く多量に呑まないと酔いません。

甘さと塩辛い食事が貴族の食事です。長生きできませんし、成人男性貴族の大半が糖尿病を患っていたと聞いております。

最後に漆(うるし)技術の発達により、漆器の出現でしょう。

料理技術の発達と漆器の発達により、金属製の食器が姿を消し、箸もそれに伴って木製の朱塗りの箸となり、その結果金属の物を交ぜる機能の匙は消えていくことになります。

赤の朱塗りの器に金属の匙を入れて使うと朱塗りの漆(うるし)が剥げてしまいます。

漆器なら汁物でも手で持って温かいものを口に出来ます。このため日本では、汁をすするという行為が許される文化でもあります。外国ではスープなどの汁物をすする行為はマナー違反です。温かいものを直接口に入れる方法が長くなかったからです。この辺が大陸文化(とくに朝鮮文化)との食事面からの分岐点かもしれません。

海外では、漆で作った漆器は、ジャパニーズと呼ばれます。白磁青磁は中国の産が多いことからチャイニーズと呼ばれています。

湿度の高いの中で上手に物を保存したりするのには漆(うるし)は重宝されたんでしょうね。
漆器の幅広い発達により、食事もより華やかになります。繊細な図柄を盛り込んでいくことが出来る様になって行くのです。

あくまでも素人の考えたことです。専門家先生方からも異論もお叱りもご尤もです。でも、どこかで大陸の文化の分基点はあったはずです。一つの仮説に過ぎません。

今一度食事する行為を考え直す機会になればよいかと思いブログを書きました。

今も昔も人は食事をする行為をなくして生きていくことは出来ません。
食ってやるのか、頂いているのか、同じ行為です。そこにあるのは人の気持の持ちようです。何かのきっかけになればありがたいです。

今日もささやかな幸せに感謝して、一日心穏やかに過ごしたいです。

今日も長々としたブログお付き合い下さいまして、ありがとさんです。