''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

路傍の花

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家を出るところにきれいな花が咲いています。
きれいなと思い写真撮りました。
百合か彼岸花かの種類でしょうか?
一輪咲いています。可愛い花にこころ癒されました。
花はいいですね。



「よくみれば薺(なずな)花さく垣根かな」
薺(なずな)は平たく言えば「ペンペン草」です。名を変えて春の七草に入っています。1月7日の粥にも入る野草です。どこにでもある雑草です。でも小さな花を咲かせます。

芭蕉は垣根に種が引っ付いてそこに咲いた小さな花をじっと見つめたんです。
そこに美を求めたんですね。自然の摂理です。人が好き好む花ではありません。

でもよく見れば小さい花です。可憐と言うことばがあうか否かは別にして、確かにきれいです。

百合やバラの美しさはありませんが、美しいことには代わりがありません。
見る人が目線を下げなければ見つけることが出来ない美しさでもあります。
ここにもあそこにも四季の花が咲いています。

禅の言葉、禅語に「百花誰が為にか開く」というのがあります。花といえばこの禅語が頭に浮かびます。花は誰かに見てもらいたいと考えて咲いているわけではありません。「きれいねぇ」の言葉も求めません。花が花として生きているそれだけです。がんばって生きたりしていません。自然体です。そこに美しさがあるのかも知れません。

人も同じです。人に評価されたいのは人の常です。でも、人の評価ばかりに気にしていれば本当の自分が出ません。本当の自分を黙々と行う。これがすばらしいことで、これを人は評します。評されない場合も気にすることはありません。自分が自分らしく生きているだけです。

恥ずべきものは何もありません。それだけです。見返りを求めないソンナ生き方も有りじゃないですかね。すばらしいと思います。

そうありたいと思っていますが、まだまだ未熟です。
路傍に咲く花を見て、きれいと思う心のゆとりが必要です。

ブログを始めて、日々の生活の中で見落としていることがあることに気づかされます。

季節の移ろいや食材の旬を見ることによって自然の中に生きている、いや生かされていることを再確認する日々です。

足もとの花を見ることによって学ぶこともあります。
生かされていることに感謝して今日も過ごしたいと思います。
ありがとさんです。

暑かった夏が過ぎていくのが、肌身に感じます。
季節の変わり目に体調を崩します。
心穏やかにお過し下さい。

最後まで読んで下さって本当にありがとさんです。