''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

路傍の花 紫陽花 より。

朝からいい天気です。
今朝も、1歳児ゆうゆうを、保育園に送って来ました。
日差しも強いし、それでいて、じめじめしていなくて、気持ちのよい夏の朝って感じでしたね。

保育園の行き帰りに、紫陽花の花を見つけました。
この時期の花です。

紫陽花の花と言えば、京都伏見の藤森神社さんを思い出します。
ちょうどこの辺りが、紫陽花の見頃です。

藤森神社さんの3枚のお札は、こちらにももって来ています。
不届きモノのへーベールの悪行を見守るようにと、そちらにお札を配置してます。
勝負の神様を相手にしては、大抵のモノは、音を挙げると思います。

勝負と言えば、自民党等が、共謀罪強行採決を行ったニュースが、朝の情報番組を駆け巡ります。
野党は野党で、どうでもいい事で、審議する時間を排除しておきながら、ここに来て審議の問題を述べても、意味がありません。

加計学園の問題を本当に審議するなら、特別委員会を設置でもして、審議をすればいいのに、共謀罪論議せずに、ここに来て、無謀だと言い放つのは、疑問があります。
もともと、加計学園の問題も、民主党時代にさかのぼるでしょう。

ここに来て、次の総選挙で民進党議席数は、激減して第3局に進む予感がします。
当時の勢いだけで、民進党の所属の議員のお粗末な感じが否めません。

それに、違和感を覚えるのは、参議院議員の真山 勇一氏です。
元ニュースキャスターが、いきなり定年になったからと、政界に入ってくるのは、どういうものかと疑問が残ります。
他にも、NHKの元ニュースキャスターが、知事になったりするのも、公私混同が強いと感じます。

テレビでニュースを読む者が、いきなり政治家となれば、その為の布石だったとしか思えません。
それなら、報道する人間の発する公平な意見と、私人として発する意見が、全く同等であるかのように錯覚を覚えます。

あくまでも、元ニュースキャスターとしての立場と、国会議員の立場とは全く別物のはずです。
テレビでは、個人の意見も述べることなく、いきなり、政界入りするのは、何か違いますよ。

ニュースの原稿は読めても、政治の空気感は、読めないんだとつくづく感じます。
民進党の風向きが変わったら、また別の政党に所属されるつもりでしょうかね。
政治家としての信念が感じられません。
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怒ってはいけません。
花は怒りを感じさせません。

禅の言葉に、「花は誰の為に開くか」と言うのがあります。
『碧巌録』五にもある公案だとも聞きます。
花は、誰の為に咲くのでなく、春がやって来たから、花として咲いたのだと思います。
そこには、誰がにきれいって誉めてもらうこともありませんし、そうした邪心も邪念もありません。

人が見て綺麗と思うバラの花や桜の花、そうした花だけではありませんよ。
「よく見れば薺(ナズナ)花咲く垣根かな」 松尾芭蕉 有名な芭蕉の句です。

薺(ナズナ)とは、要するにペンペン草です。
ペンペン草も精いっぱい咲いています。
それも、地面でなく、垣根に咲いています。

それでも、それを見て、綺麗と感じるのも、幸せです。
そうした見えにくい幸せを、もっと言えば、「よかった」探せる生き方が、私のモットーです。
ささやかながら、日々の暮らしの中で、「よかった探し」を続けています。

日々感謝して暮らさせてもらっています。
平穏無事に過ごせますように、神仏に手を合わせて念じています。
ありがとさんです。