''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

「南方録」に学ぶ。 小座敷の茶の湯と仏法

南方録に学ぶ。「秘する花」 ←こんなの書いてます。

「南方録」という書物があります。
お茶の聖人 千利休の言葉を記した書物です。
正確には、著者は、利休のお弟子の南坊宗啓と言う事になっています。
自分用の覚書き、手控えみたいなモノのはすですが、現在の解釈では、偽書との説が強くなっています。

本当に利休の言葉を書き記したか否かは、私如きには知ることができません。
しかし、多くのことが学べます。
原書でなく解説書も多くあり、解説書を見聞きしての学びです。

私はお茶の世界とは全く関係がないごく普通の生活です。
茶道の深くを学ばれる方も多くおいでです。すばらしいことです。

日本三道、茶道、華道、香道の一つにも数えられる道です。
道と言うからには単なる芸事でなく、もっと深い精神性があり、極めることによって常人には計り知れない、まるで仏の悟りの域まで行かれるような道なんでしょう。

とにかくお茶の難しい話は分かりません。
でも、多くを学べます。勝手に学んだ気になっているだけです。
とりあえずおもしろいので解説書をよく読みます。
『南坊録』 中村直勝著 浪速社」を参考にさせて頂いております。

利休居士は、言われます。
「小座敷の茶の湯は第一仏法を以って修道得道することなり」と。
それについで
「水を運び、薪をとり、湯を沸し、茶をたてて仏に供え、人にも施し、我も飲み、花をたて、香を焚きて、皆々仏祖行ひの跡を学ぶ也」と。
中村氏によると、茶の湯は信仰であると述べられています。

上記二つの言葉の間に
「家は漏らぬ程、食事は飢えぬ程にて事足るなり」との名言が一句入っています。

奥深い言葉です。分かっているようですが、現実と少しかけ離れた情景とも言えます。
精神的にはこうありたいと思うのでずか、やはり現実の世界とは少し隔たりがあります。
でも、人としてあこがれる世界観です。

小座敷で茶を立てる事は、仏法である。
茶を立てたら、まず第一に仏に供える。
そして人に与えて、最後に自分が呑む。

茶を点てるのは、仏に供えるためである。
仏祖の跡を学び、それに教えられ、我欲を捨てて天道に従うためであると解説されています。
また、身を慎しみ心を浄めるためであって、決して他人に見せるためではない。
他人に誇ろうという気分があっては、それこそ茶道の外道であると著者は厳しい戒めを記されています。

茶会ではすくなくとも亭主は、その早朝でもよいから、一服を点てて、仏祖なり、我が家のご仏壇なりに供えて、それから客を迎えることを実行して欲しいと中村氏は私見を最後に述べておられます。

少ない行数でしたが、学ぶことはいっぱいです。
茶席に禅や仏事に関する書や軸を掲げる。花を立て、香を焚いて身を清める。すべて道に通じるんですね。人それぞれ学ぶ次元が違います。

茶室という空間から一切の無駄の排除こそ小座敷の茶なんですね。

小座敷は2~3畳程の茶室と考えています。
今の空間と少し広さが違います。

御所の九条邸の茶室がちょうどそんな雰囲気です。
少し暗い目です。壁も黒くなっています。
汚れているわけではありません。
端に「にじり口」と言う外に通じる小さい入り口があります。

誰もがこの入り口をくぐって来なければ茶室に入ることは出来ません。
にじり口は、にじるという言葉が汚い言葉と言われたこともあると物の本で読んだことがあります。
でも、的を得た言葉であると思います。

茶室も部屋や建物である以上それとは別に入り口もあります。
お客は、このにじり口から庭を通って入られます。

これも仏の世界でしょう。

人の生き死に輪廻を表現しているのではないかと素人考えです。
茶室の狭さも仏の世界であるように思えます。
仏の宇宙観がそこにあるのだと思えます。

宇宙は計り知れないほど広いです。
でも、それは人が考える広さや時間です。

孫悟空と仏様の話を思い出します。

どこまで行っても人は仏の世界から出ることは出来ません。(私の思う仏教徒の宇宙観です。多くの偉大な神の宇宙観は別に存在することを書き記します。あくまでも私見としての仏教徒の宇宙観です。)

絶対観が仏の世界です。
人は相対観の世界です。
到底計り知ることは出来ません。

茶室も同じです。
2~3畳程の茶室は狭いです。
でも、1000畳の茶室でも10万畳茶室でも変わりはありません。

お茶を点てる亭主、それを呑む客、たったこれだけの空間しか必要ないんですね。
じゃ2~3畳程の茶室で充分です。

花についてもいろいろありますが、それはまたの機会にさせてもらいます。

花は自然の摂理を象徴です。茶室には必要不可欠なんでしょうね。

2~3畳程の茶室は一切の無駄の排除した上での仏の宇宙を表現されてるように思われます。

茶の心得のない素人の言うことです。気にしないで下さい。
間違いは、多くあります。

でも、仏を通じて私にもご縁があります。
一つでも学べることが出来たら、それはありがたいです。

私が思う茶(お薄)は、ほのかに苦味があるが、クリーミーで苦味の中に甘みがあるうまい飲みものです。
いろいろと四季を感じさせてくれる菓子を頂きながら頂く茶は至福の時を与えてくれます。
それ以上に難しいことは分かりません。

でも「『南坊録』 中村直勝著 浪速社」を通じて「南方録」に出会えた事ですこし人生が豊かになりました。

もちろん他の解説書にも目を通しますが、薄い本ながら素人にも大変分かりやすく解説されています。感謝です。

最後に「南方録」「南坊録」と言い方に諸説ありますが、私は「茶は南方の嘉木なり」の一文から南方録と表記させてもらいます。専門方の先生からのお叱りもここではご容赦下さい。

季節の変わり目体調が不安定になります。夏の疲れも出る頃です。
どうぞご自愛下さい。

最後まで読んで下さって本当にお礼申し上げます。
ありがとさんです。