利休の書状に「鯛の文」というのがあるようです。
天王寺屋津田宗達の弟・宗閑宛へ鯛と酒を送ってもらったお礼状です。(裏千家今日庵蔵)
永禄12(1569)頃?の3月29日の日付入りです。
利休の書状ではもっとも古いと記されています。
(『別冊太陽 千利休』平凡社)

中ほど「鯛」の字を読むことが出来ます。
一番最後の 一、の所に宇治茶と読めます。
この辺が限界です。
天王寺屋津田宗達の弟・宗閑宛へ鯛と酒を送ってもらったお礼状です。(裏千家今日庵蔵)
永禄12(1569)頃?の3月29日の日付入りです。
利休の書状ではもっとも古いと記されています。
(『別冊太陽 千利休』平凡社)

中ほど「鯛」の字を読むことが出来ます。
一番最後の 一、の所に宇治茶と読めます。
この辺が限界です。
それにしても利休の消息とされる文は多く残っています。
人柄が出ています。
このときも既に茶人宗易(そうえき)、として名を馳せている頃でしょう。
人柄が出ています。
このときも既に茶人宗易(そうえき)、として名を馳せている頃でしょう。
同時に、堺の商人の主人という顔もあります。
主人と主人のお礼状です。
主人と主人のお礼状です。
それ以上に、人柄を感じる文です。
鯛のお礼をしたためる。
茶人の人を気遣う心遣いを感じるように思われます。
鯛のお礼をしたためる。
茶人の人を気遣う心遣いを感じるように思われます。
人の気持ちに対する心の返礼です。
鯛の礼でなく、気持ちのお知らせですね。
鯛の礼でなく、気持ちのお知らせですね。
こうした何気ない文にも「感謝」の気持ちが感じます。
この文の後、茶人として政にも意見を申せるような秀吉公の側近になります。
弟の大納言秀長と利休居士、二人の影の力による天下統一もあります。
この文の後、茶人として政にも意見を申せるような秀吉公の側近になります。
弟の大納言秀長と利休居士、二人の影の力による天下統一もあります。
感謝の気持ち、「一期一会」の心境、似ているように感じます。
仏とのご縁、身分・位をはずした一個人としての主客の交わり、心とこころの無言の空間、これが茶室の奥深いところかもしれません。
仏とのご縁、身分・位をはずした一個人としての主客の交わり、心とこころの無言の空間、これが茶室の奥深いところかもしれません。
二人して腹を割って、個人と個人として、自分をさられ出す。
相手も何も無いところで、自分を確認する。
相手も何も無いところで、自分を確認する。
こうすることによって、会話というものを使わずに、心と心で、同じ空間、同じ茶を服することによって、安心感、一体感があるように思えます。
天下人と言えども、この茶室では一個人、秀吉です。
乱世の天下統一の精神支柱に、茶室や茶道があったように感じます。
乱世の天下統一の精神支柱に、茶室や茶道があったように感じます。
その原点の一つが、「鯛の文」にあるように思えます。
何か頂き物をしたとき、一文たりとも礼状は心に届きます。
頂いたものよりも、その礼状を手元に取って置きます。
何か頂き物をしたとき、一文たりとも礼状は心に届きます。
頂いたものよりも、その礼状を手元に取って置きます。
頂いたものは、形あるものです。
食べてしまれば、それまでです。
形があれば、壊れることもあります。
食べてしまれば、それまでです。
形があれば、壊れることもあります。
でも、そのとき添えてもらった一言(ひとこと)は胸に留まったままです。
たとえ、礼状を紛失してしまっても同じことです。
たとえ、礼状を紛失してしまっても同じことです。
物に対する執着はありません。
心に届いた感謝の気持ちは永遠です。
心に届いた感謝の気持ちは永遠です。
感謝して、し過ぎる事はありません。
生きているのでなく、生かされていることに、まずは感謝です。
偶然の偶然は必然です。
無駄なことは無いはずです。
生きているのでなく、生かされていることに、まずは感謝です。
偶然の偶然は必然です。
無駄なことは無いはずです。
まずは、今自分の立っている場所がどこなのか、それを確認することが必要です。
どこでも「よかった」と幸せは感じることが出来ます。
どこでも「よかった」と幸せは感じることが出来ます。
まず、「今ここに居ること」に「よかった」を、「生かされている」ことに「感謝」これも幸せ探しのキーワードです。
自分の居る場所は、確認出来ましたか?
本当の場所ではありません。あなたとあなたの主の位置関係です。
あなたの主は、皆さんそれぞれ違うはずです。
本当の場所ではありません。あなたとあなたの主の位置関係です。
あなたの主は、皆さんそれぞれ違うはずです。
私の場合には、御仏(みほとけ)でした。
ですから、御仏に感謝しています。
利休居士も、御仏でした。これもありがたいご縁です。
ですから、御仏に感謝しています。
利休居士も、御仏でした。これもありがたいご縁です。
茶や茶室から、いろんなものが垣間見ることが出来ます。
最後まで、長々とお付き合い下さいましてありがとさんです。