''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

お亀に見えて来た吾子の寝顔 より。

今日で、2月が終わります。
今日2月28日と言えば、茶聖・千利休の命日でしたね。
天正19年2月28日(1591年4月21日)に、天下人豊臣秀吉公の命により、切腹して黄泉への旅立ちです。

 

未だに、歴史的に考察からしても、その真の理由の解明はされていません。
私も、素人ながら、この命題の糸口を知りたいと思う一人です。

 

私の過去のブログ記事にもしていますが、利休の「り」の中に、[ 利休の切腹]の一覧を設けています。
直接的な原因は、「木下祐桂の讒言」でしょう。(「茶道四祖伝書」より)
些細な讒言が、事態が急激に大きくなったと思われます。

 

過去の記事  利休居士辞世の和歌「おかめにおもいおく」より。でも紹介しています。
おかめ(お亀)は、利休の娘です。
この娘のお亀を通じて、少庵が、道安でなく、利休の後継の座に就けたのも事実だと思います。

 

連れ子の少庵と利休は、血縁がなかった。
それを、利休の娘・お亀を妻にしたことになり、宗旦という正統な継承者を得たことは大きいと思いますね。

 

この利休の切腹により、いろいろな問題が連鎖的に続発したと思われます。
豊臣政権のバランスの均衡も可笑しくなったとも言えます。

 

利休が秀吉に命乞いをすれば、命は助かったと思われますが、茶人として、人としての意地を通して、あえて切腹の死での旅立ちになったはずです。
死出の山のふもとの茶屋で、最後の茶を喫したように思えます。

 

茶人としては、美の大成者として、無念は無かったと思いますが、手紙があるように、父親としては、思い置く事があったと思えます。
人の親ですからね。
イメージ 1

我が家にも、一人娘が居ます。
1才の吾子ながら、その寝顔を見ながら、いろいろと考えさせられます。
写真は、娘ゆうゆうが使う「歯固め」です。
亀さんの形をしています。

 

いつも何か口に入れて、ガリガリしています。
じっと見ていると、バツが悪そうに、口を離します。
怒られていると思うのでしょう。
不衛生なモノを口に入れると、私が激怒するので、私の顔色を伺う1歳児です。

 

今、横で寝ています。
いつものチャイルドシートが、定位置です。
爆睡モードです。

 

先日も、夜になって、嫁と子供が隣の部屋で寝ていますが、引き戸の扉の隙間から、ゆううゆの手が、出ています。
隣の部屋からこちらに来ようとしています。
それを見たら、あまりに不憫でしたので、私の布団に疋入れました。

 

朝まで、二人して同じ布団で寝ていましたが、娘の寝顔を間近いで見ると、いろんな事を思い出します。

 

利休には、数人の娘が居たと聞きますが、どんな父親だったのかと、ふと考えましたね。
私のように溺愛する親バカではないはずです。
でも、数人いる娘の中、お亀だけに、最後の文を置いて死出の山に旅立つのですから、特別な思い入れがあるはずです。

 

「利休めはとかく果報乃ものそかし菅丞相になるとおもへハ」

 

親の思いだけは、私のような凡夫の父にも、分かる様な気がします。
娘の寝顔は、格別ですよ。

 

歴史の真実は、闇の中ですが、今後の歴史的研究を待って、少しだけ真実が解明されることを祈るばかりです。

 

ご冥福を念じて合掌です。

 

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、亀ならぬ牛にひかれて牛歩の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。