''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

月間ピアノ 2024年 1月号 「最高到達点」を弾くたくて より。

今年もいよいよ終わりです。
早いもので、年月の流れは早いと言いますが、まさにこの年になると、速さがマシマシです。
流れて早き月日なりけりです。

昨日といひ今日と暮らしてあすか川流れてはやき月日なりけり(古今341)

まさに冬の部の年の果てによめる 春道列樹の和歌です。


私的には、中興名物の「飛鳥川」の釉薬の流れを思い出します。
遠州本歌取りのセンスも凄いですね。


茶の湯の頂点の茶聖の利休とは、少し違う着眼点です。
遠州のさびは、「綺麗さび」と言われます。
小堀遠州の求めた「綺麗さび」の世界は、織部の「わび」よりも、明るく研ぎ澄まされた感じるものですね。


織部の破調の美、歪みや壊れたモノの中にある美だすると、均整の取れた真円の美でない所に求めた美であることを強く感じます。
完成されない未完の美に、求める美の世界があるのかもしれません。

 

利休の世界観で言えば、表現される美の象徴は、無駄の排除かもしれません。
真の茶道は、草庵小座敷にあるように思えます。
利休の待庵は、小さな二畳敷き茶室ですね。
4畳半でも、6畳でも、8畳でも良かったはずなのに、主客り膝を交えるほどの小さな空間です。


一切の無駄の排除した最高到達点が、この待庵であったような気がします。
その中に、利休の求める「わび」があり、「美」があるのだと思います。
素人の考えですので、諸兄にお叱りを受けるのは、勿論のことですが、その空間に何かあるんでしょう。


私も京都の御苑の中にある九条邸の茶室に入った時に、何か特別なものを感じました。
予備知識のないままに、思っていた茶室と別物でした。
主客の交わりに一切の無駄の排除した形をイメージしたら、こんな風になるのかと思うと、利休の待庵は、特別な空間でしょうね。

先日、嫁に頼まれて、書店で予約していた雑誌を引き取りに行って来ました。
月間ピアノ 2024年 1月号 です。
嫁が、SEKAI NO OWARIの「最高到達点」をピアノの練習用するように購入したようです。


私の晩酌タイムの生演奏が、これになります。
この時期、坂本龍一さん作曲の『戦場のメリー・クリスマス』も生演奏が続いています。
世界の終りは、新しい世界の始まりでもあります。


この混沌とする国際社会の中、一触即発の問題が続ています。
中東然り、ウクライナ然り、台湾然り、半島然りです。
龍の年は、荒れるとよく言われますが、何か起こると、大変です。
SEKAINOOWARIが「DragonNight」のように、どこかの段階で、停戦してもいいように思います。
停戦から、終戦に、終戦から、平和に近づけらたら、いいのですがね。


クリスマスくらい、中東もウクライナも、停戦する所から始めるのは、どうでしょうね。
ささやかな願いです。


親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。              
ありがたいことです。            
            
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。              
ありがたいことです。              
              
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。              
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。              
ありがたいと感謝です。              
              
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