''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

「銘ある茶道具」より、青白磁茶碗 逸翁歌銘「一輪」。

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昨日に続いて、逸翁美術館で、もう一つお気に入りの茶碗があります。
前にもこの美術館で、見た事があります。

 

それは、白磁茶碗 逸翁歌銘「一輪」です。
白磁とは、中国で焼かれた白磁の茶碗の一種で、青味が帯びた釉薬がかけられています。
展示の茶碗は、宋時代の名品です。
清の時代から、「影青(いんちん)」の名で呼ばれていたと解説にあります。

 

完全な円形に整えられた口縁部に、大変小さな高台で、まるで朝顔みたいです。
茶碗としては、使いにくいと思います。
手馴れた方でないと、お茶を溢しかねません。

 

ここに逸翁の和歌が、添えられています。
「利休のふる事をまねて 内外(うちそと)の露路のまがきは蕾のみ床にかがやく朝顔の花」
この歌にちなんで、この茶碗の銘は「一輪」です。

 

利休のふる事をまねてとは、満開の朝顔の花をすべて摘み取り、茶室の床に一輪だけ生け、訪れた豊臣秀吉をもてなした、という逸話の事のようです。

 

茶室に向かう内外の露路には、つぼみの朝顔しか、見せてなくて、茶室に入った瞬間、そこに一輪の満開を思わす朝顔の茶碗で、茶をおもてなしですね。
これは、サプライズですね。

 

利休の故事より、花の楽しみを盛り上げます。
露路の中は、つぼみばかりなら、「あれ?」と思いますよね。
そして、それが偶然でなく、亭主のもてなしとあると感じることが出来ます。
人をもてなす茶人の心と言うより、驚くことを楽しむ遊び心を感じる数寄者の心です。

 

茶室の花は、一種か二種です。
小さい茶室に、花が咲いているというのは、いいですよね。
花は自然の摂理であり、茶室と自然の繋がりであり、延長線でもあります。
空間そのものですね。

 

茶室の大きさは関係ないです。
あくまでも、主客の交わりの場なれば、3畳でも2畳半でも同じです。
はたまた、100畳でも変りません。

 

一切の無駄の排除した空間が、利休思う茶室かも知れませんね。
暗い茶室では、青白磁の茶碗は、明るく輝いているはずです。
そこに、抹茶の色合いが、加味されます。

 

朝顔が、まだ蕾の頃、この茶碗で行う茶会は、楽しいでしょうね。
わざわざ、咲いている朝顔を、茶室の花入れの朝顔だけにするために、摘んでしまうのは、人のエゴかもしれません。
それなら、逸翁みたいな方が、人をもてなすという気持ちが、自然だと感じます。

 

やはり、偉人ですね。
この和歌と茶碗の銘には、参った。

 

茶碗だけでなく、共筒茶杓にも、その銘が付けられています。
その中でも、特に面白いのは、古田織部作の銘「長刀」ですね。
祇園祭りの鉾みたいですね。

 

それに藤村庸軒作の銘「半弓」もユニークです。
弓矢の小さいのが、半弓(はんきゅう)です。
遠山の金さんが、「当り」って、遊びで的を得ているみたいな、小さい弓ですね。

 

これを逸翁が所有したのには、訳があります。
そらー、阪急グループの創始者ですからね。
「阪急」と「半弓」のダジャレです。
それでも、数寄者ですから、シャレています。
「ぷっ」と噴出しそうな、お茶目なところがいいですよね。

 

でも、一番この展示で気に入ったものがあります。
それは、最後の茶室に設えてあった茶席の中にあります。
昭和31年7月3日の茶会の再現です。
茶碗は、三島という面白い茶会ですね。

 

気になったのは、茶碗でなく、菓子器にされていた祥瑞二段捻鉢です。
これはよかったですね。
お菓子は何を盛ろうかと、連想しました。

 

そば饅頭なんかもいいですね。
まだまだ食欲旺盛な40半ばの中年です。
菓子もお酒もいける両党使いです。
いざ、勝負ですね。

 

楽しい時間でしたね。
いつも、ここの展示はいいです。
見終わるとぐったりします。
そこまで、見なくてもと思われます。

 

私以上に同行カメラマンも、お気に入りを何度も見ていますね。
似た者同士かもしれません。

 

逸翁とも、この美術館を通して、縁を感じます。
時は違えど、同じ茶道具を見て、かき立てられるものは、同じです。
道具ですから、手にして使わないと、本当の良さは分りませんけどね。

 

そこは、私とは天と地ほどの違いです。
それでもありがたいです。
ありがたい勝手な片思いのご縁です。

 

日々の暮らしの中で、一服の茶を頂くような心持があります。
ささやかな生活の中で、よかったを探せる人生は、豊かだと感じます。
これもありがたい仏縁のお陰です。
感謝しております。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らすが、願いです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、数寄者を真似た故事付けた話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。