イライラしてはいけません。
雨は、大地の恵みをもたらしてくれます。
雨なくして、水なくして、人も生物も生きられませんからね。
雨は、大地の恵みをもたらしてくれます。
雨なくして、水なくして、人も生物も生きられませんからね。
そんな時は、定番のチョコレートでしょうね。
甘すぎないビターな物を選ぶようにしています。

そんな中、スーパー・フレスコで、手頃な量と価格の物を見つけました。
森永チョコレート 小枝 塩大福です。
でも、そのイメージはありません。
ホワイトチョコベースの食べ良いステックの小枝です。
甘すぎないビターな物を選ぶようにしています。

そんな中、スーパー・フレスコで、手頃な量と価格の物を見つけました。
森永チョコレート 小枝 塩大福です。
でも、そのイメージはありません。
ホワイトチョコベースの食べ良いステックの小枝です。
小袋になっていますので、量の加減も出来ます。
帰宅してから、すぐに冷凍庫に入れて置きました。
冷んりとした口溶けの中に、何やら塩気があります。
悪くはないです。
帰宅してから、すぐに冷凍庫に入れて置きました。
冷んりとした口溶けの中に、何やら塩気があります。
悪くはないです。
禅の言葉、禅語に「梨花一枝春」(梨花一枝(し)の春)と言うのがあります。
与謝蕪村の俳句にも、「梨の花月に文よむ女あり」と言うのがあるようです。
春の俳句ですが、梨と言えば、食い気のある私には、秋の食べ物に思えます。
与謝蕪村の俳句にも、「梨の花月に文よむ女あり」と言うのがあるようです。
春の俳句ですが、梨と言えば、食い気のある私には、秋の食べ物に思えます。
禅語の意味は、わずか一枝の梨の花にも、天下の春は十二分に現れています。
自然の摂理を、梨の花の一枝からも察する。
自然の摂理を、梨の花の一枝からも察する。
私なら、梨の花より、梨の実の美味しさで、秋の季節を感じ、生きていることの喜びを察します。
梨の爽やかな酸味とシャキシャキの食感がいいですね。
あの食感は、石細胞と呼ばれているようです。
なるほどと感心してしまうばかりです。
梨の爽やかな酸味とシャキシャキの食感がいいですね。
あの食感は、石細胞と呼ばれているようです。
なるほどと感心してしまうばかりです。
この時期、いつも思い出すのが、昔バイトしていた料理屋さんでの出来事です。
料理屋さんと言っても、お庭を配した俗に言う料亭です。
格調も、値段も高いです。
個室で会席料理を頂くような料理屋さんです。
料理屋さんと言っても、お庭を配した俗に言う料亭です。
格調も、値段も高いです。
個室で会席料理を頂くような料理屋さんです。
配膳所で、待機しておりました。
その日の献立が、表記してあります。
先付、向付などから始まり、強肴、そして一連の会席コースの最後に、ご飯と香の物となり、最後に水菓子になるはずでした。
その水菓子の欄に、「なし」と書かれていました。
その日の献立が、表記してあります。
先付、向付などから始まり、強肴、そして一連の会席コースの最後に、ご飯と香の物となり、最後に水菓子になるはずでした。
その水菓子の欄に、「なし」と書かれていました。
もちろん、私は、梨であることはわかっています。
でも、ある中居さんが、これを「無し」と読んだから大変です。
「今夜の会席には、水菓子はありません」とお客様に申したのです。
そんな馬鹿な~ですよね。
でも、ある中居さんが、これを「無し」と読んだから大変です。
「今夜の会席には、水菓子はありません」とお客様に申したのです。
そんな馬鹿な~ですよね。
ですから、献立表には、「なし」でなく、「有の実(ありのみ)」と書くべきでしょう。
スルメをアタリメと言うのと、同じでゲンが悪い言葉や、間違いやすい言葉を、別の言葉で表記することがあります。
日本語のよく出来ている所ですよ。
スルメをアタリメと言うのと、同じでゲンが悪い言葉や、間違いやすい言葉を、別の言葉で表記することがあります。
日本語のよく出来ている所ですよ。
「梨花一枝春」も、一枝でなく、数枝では、何か違うものを感じます。
一枝だからいいんですよ。
同じようなことが、『喫茶雑話』に最末尾にあると物の本に記されています。
「昨夜数枝開く」を「昨夜一枝開く」に、友人の勧めで変えたとあります。
一枝だからいいんですよ。
同じようなことが、『喫茶雑話』に最末尾にあると物の本に記されています。
「昨夜数枝開く」を「昨夜一枝開く」に、友人の勧めで変えたとあります。
これが「すきの道」と呼ばれるようです。
茶人には、こうしたセンスがないといけないようです。
『南方録』にも、利休居士の言葉として、「小座敷の花は、かならず一色を一枝か二枝かいけるがよし」とあるようです。(『禅語の茶軸 一行物』芳賀幸四郎著 淡交社刊 参照)
茶人には、こうしたセンスがないといけないようです。
『南方録』にも、利休居士の言葉として、「小座敷の花は、かならず一色を一枝か二枝かいけるがよし」とあるようです。(『禅語の茶軸 一行物』芳賀幸四郎著 淡交社刊 参照)
やって来ている身近な生活の中に、ささやかな秋の訪れを、感じます。
ありがたいことです。
ウイスキーのソーダ割りから、ささやかな秋が感じられれば、いいですけどね。
もちろん、答えは「そーだ」とお返事下さい。
ありがたいことです。
ウイスキーのソーダ割りから、ささやかな秋が感じられれば、いいですけどね。
もちろん、答えは「そーだ」とお返事下さい。
すぐに飲み欲して、空きにしてしまいます。
そう、仏教的には、空の中に、有と無が存在しています。
見える法の世界と、見えない妙の世界です。
また、グラスが空きました。
そう、仏教的には、空の中に、有と無が存在しています。
見える法の世界と、見えない妙の世界です。
また、グラスが空きました。
日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁だと、感謝して暮らさせて貰っています。
ありがたい仏縁だと、感謝して暮らさせて貰っています。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事でありますよう。
最後まで、塩対応の用無し(洋梨)モードの話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。