''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

「天野屋利平は男でござる」

京都寺町と言えば電気屋街です。
今は少し様子も変わっています。マンションに変わってしまったりと一時のことを思うと様変わりしています。しかし、名前の通り寺町にはお寺がずらりと並びます。下は六条辺りまでです。上は出町のあたりまで、お寺が飛ばし飛ばし続いています。通りも上までもちろん寺町通りです。縦の通りは繋がっています。
こんなことをしたのは、太閤秀吉です。

洛中を火災や敵からの襲来に備えるためです。広い敷地で阻止できることもありますからね。京都の四条寺町下る(さがる)、すこし行ったところに聖光寺というお寺があります。
ここに「天野屋利兵衛は男でご座る」という石版が置かれています。
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あの赤穂浪士を助けた「義商」です。名前の表記はさまざまです。

仮名手本忠臣蔵』では、「天川屋義平」という名前で登場します。
大星由良之助(大石)から武器調達の依頼に、密かに荷物を送ろうとしたとき、捕り手につかまり、子供を人質にされてしまう。こん難局にも計画の白状せずに、拒否した天川屋義平は「天川屋義平は男でござる」と大見えを切る。芝居の見せ場のひとつでもあります。
観客から声もかかります。歌舞伎らしいところですね。

日本人は、すぐに男にして下さいとは言いますよね。とくに選挙とかでは定型句です。
男は男らしく、女は女らしく。当然かもしれません。でも、世の中にこれほど曖昧な言葉も少ないです。この台詞(せりふ)も「天川屋義平は女でござります」と言えば、カミングアウトでギャク・パロディーと変わってしまいます。

男としての筋を通すのはなかなか難しいです。小事を捨てて大事を生かすことも時には必要です。男女でなく人として筋を通したいといつも思っています。
何が大切なのか見えてくるような気がします。

話は戻って、この話に出てくる天野屋利平が実在の人物であるのかは不明です。
でもこのお寺には新しい石碑が置いてあります。説明も有りませんのでどういう関係か不明です。でも寺町を通ればいろんな碑文や石碑が目にします。なかなか面白いです。分からない時は家に帰って調べます。これも楽しいですね。知る喜びかもしれません。

しかし、京都の呉服商、綿屋善右衛門(わたやぜんえもん)と言う人は、大石内蔵助とも親交があり、義士の支援者のひとりです。また、討入り後も家族の支援をしたようです。
大塚屋小右衛門(こえもん)という人も協力者の一人のようです。(『「忠臣蔵」の謎学』 中島康夫監修 青春出版社 参照)

大坂にも江戸にも出入りの商人が居ますから、幾人もの、天野屋利平が居たんでしょう。
人情厚い時代だったのかもしれません。
時代劇だけ見るのでなく、芝居や講談・浪曲など行くとおりもの方法で後世に伝わっています。人としての永遠のテーマがそこにあるような気がします。

いろいろな催し物が開かれます。時に触れて出かけてみるのも楽しいかもしれませんね。
すこし勉強していくとまた楽しみも増えます。
日々の生活に感謝を添えて、ありがたいと思えることが一つでも探せたらもっと幸せになれますよね。

最後までお付き合い下さいましてありがとさんです。