''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

DVD『最後の忠臣蔵』を手に入れたので、観てみました

時折行く、激安シッョブで、何気に手に取ったのが、忠臣蔵モノです。
もちろん、観たことはありましたが、かなり以前でしたね。
また、観たくなったと思っていましたが、長い間放置プレーにしておりました。
そうしたDVDも我が家には多いです。


映画の『最後の忠臣蔵』の主役は、名優 役所広司さん、演じるのは大石家家来の瀬尾孫左衛門です。
討ち入り直前に逐電(脱盟者)します。
これが、不思議の一つでしょうね。


普通に逐電するとは思えませんからね。
主の内蔵助にお供する一年で、一同に加わります。
他の47人が、浅野家家来であるにもかかわらず、瀬尾孫左衛門だけが、浅野家の陪臣ですから、本来は討ち入りに参加する義理はありません。


ですから、普通に考えると、主の内蔵助から何か特別な密命を受けたと思うのが、至極当然です。
ここの本質を慮った上で、この映画の仮の筋書きの上での話になります。
その匿名とは、大石内蔵助の隠し子(娘)を守る役目でしょう。
子の母は、軽ですね。

 

軽が無くなって、1人で娘の可音で、桜庭ななみさんが演じます。
凛として品がよく、映像の上でも、特別な血筋感がありますからね。
池田家、鳥居家、斎藤家等、大石家も含めて、有名な戦国武将の血を引きますよ。

 

この娘の嫁入りを、浅野家の縁のあるモノが、輿入りに付き添います。
ここが最後の見せ場ですからね。
映像も綺麗です。


話は戻って、映画の中心的な時代は、元禄15年の赤穂事件から16年くらい経った頃です。
赤穂浪士だった寺坂吉右衛門が、浪士の十七回忌法要が行なわれる京へと向かう前後の話ですね。
赤穂藩足軽であった寺坂は、討ち入りの直後に大石内蔵助から「事件の真実を後世に伝える事と、浪士の遺族を連絡したり援助する」との密命を受けて、一人だけ生き残った御仁と思われます。
寺坂も、身分の軽い足軽ですが、浅野家の家臣(直臣)です。


寛文12年(1672年)、8歳の頃に、足軽頭の吉田忠左衛門兼亮の家で、奉公して世話になるようになったようです。
元禄4年(1691年)、兼亮が加東郡郡代となった際には、赤穂藩浅野家の足軽浅野長矩の直臣)なったとされています。


討ち入り後も、諸方に連絡した後、兼亮の娘の伊藤家で、一緒に暮らしていますね。
もし、討ち入り後に、逃亡していたら、そんなことは出来ませんからね。
それに伊藤家が主家の本多家の姫路から村上への領地替えにも、寺坂夫婦して同行していると聞きます。
確実に、密命を受けて、討ち入り後に46人と別れて、行動している推測されます。


47人目の寺坂も、映画やドラマでは、注目されていますが、今回の映画は、討ち入り直前に逐電(脱盟者)したとされる大石家家来の瀬尾孫左衛門から見た忠臣蔵です。
史実とは違うでしょうが、いずれにしても、何か密命を受けての行動があったと思うと、そんな風な憶測を映画にしたような作品でしたね。


いろんな忠臣蔵作品がありますので、これも純粋に楽しめたらいい作品になると思います。


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