''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

春めいて、予兆がありました。 伏見より

春めいた京都伏見の日曜です。
穏やかです。
私事ながら、仕事のミスに少し凹んでいます。
どこかに行きたいと思っていながら、先ほど帰宅して来ました。
ほんに買い物に行ったぐらい、お出かけでした。

 

本当は、天気が良かったので、伏見の町を散策しに行きたかったくらいです。
今、伏見の地は、少し盛り上がっています。
そう、NHK大河ドラマ龍馬伝』でにぎわって来ています。
伏見と言えば、龍馬で有名な「寺田屋」があります。

 

龍馬通りと称する通りもあります。
20年ほど前は違う通り名でしたが、10年近く前くらいでしょうかね。
そんな通りの名前になったようなあやふやな記憶です。
大河ドラマというと、戦国時代か、幕末に主人公が多いですからね。

 

そんな中でも、どちらの時代にも、伏見は要衝の地ということになります。
江戸時代には、幕府の直轄地で、京都とは別に、伏見奉行が置かれていたくらいですからね。
これも後で出来ます。
大手筋商店街が、今の伏見一番の繁華街です。

 

ここに銀座の発祥の地があります。
あの銀座も、この銀座も、通りと言えば銀座と付くほどの地名です。
しかし、東京でなく、伏見が銀座の発祥の地です。

 

その大手筋通りのアーケードの終わりくらいから、直角に南に向かい通りが、龍馬通りです。
疎水の船着場あたりに出ます。
それを右に曲がって、すぐが寺田屋です。
曲がらないとそのまま、中書島に向かいます。

 

中書島は、秀吉が伏見城にいた頃、「賤ヶ岳の七本槍」で有名な「脇坂中務少輔安治」の邸宅があったといいます。
中務を唐風に中書とするところから、脇坂侯を「中書さん」と呼んだのが地名のおこりであると記されています。

 

脇坂家と言うと、私と同郷播州龍野の城主です。
赤穂浪士の事件でも、城受け渡しの任に当たって、いろいろと事件でも名前が出ます。
後に元禄12年(1699)時の伏見奉行、建部内匠頭政宇・播州林田播窪山城主(現在の姫路市林田町)の手によって長建寺は建立された。

 

こちらは赤穂事件では、吉良様方のお見方で、逐一大石内蔵助殿のご様子を、ご連絡されていました。
何とも、赤穂事件と関係のある伏見でもあります。

 

この長建寺に句碑があります。
イメージ 1

「花人の落合ふ駅や中書島
高浜虚子の俳句です。(「きょし」と呼んで下さい。男性です。)

 

この中書島は、色町として華やいでいたようです。
今でも、スナックやラウンジなどの飲み屋さんが多いですね。
その名残です。

 

伏見の町は、大阪から続く水路の、終着点です。
伏見から、京都に、人も物資も疎水で繋がっています。
つまり、ターミナル駅としての役目がありました。
人や物が集まれば、宿があり、酒があり、そして色も発します。

 

ここあしこの観光地でなく、町自体を楽しめるのが、伏見の良さです。
疎水端を歩くのもよし、途中で、弁当を食するのもよし、景色を楽しんでご酒を召すのも、これまた風情です。

 

人それぞれの時間の過ごし方があります。
ゆっくりと時間が過ぎて行きます。

 

ありがたいと感謝出来ますね。
さりとて、こんないい日に、散策に行なかったのか?
予兆です。
あの予兆です。

 

そうブログタイトルの通り、通風発作の予兆です。
お知らせモードです。
無理はいけません。
このまま、静かに沈静することもありますし、発作が発することもあります。

 

ここ1ヶ月、肩の痛みが続き、腕が上がらないほど、痛くて寝られないほどの痛みに耐えながら生活していました。
やっと、その痛みが和らいで来たと思ったら、次は通風の痛みが来そうです。
大人しく過ごします。
発作よ、来ないでね。
そう念じます。

 

今日もありがとさんです。
平穏無事に一日が過ごせそうです。
こんな日もあります。
こんな月もあります。

 

最後まで、伏見案内にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。