''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

同じソテーでも、ステーキ風こんにゃくです。

今日も雨振る京都です。
昨日の深夜の帰宅時に、パラパラ降りかけていました。
今日も朝から雨音で目覚めました。

何やら首が・・・。
天気に影響されやすいものですね。

早速午前中、歩いて数分のマッサージを受けて帰って来たところです。
雨降りということで、少し空いていました。
そういうものです。
体調管理には気を使います。

先日来、痛風の発作の予兆です。
軽いお知らせモードです。
たいしたことはありません。

発作も出ていませんので、少し体に気遣えば、このアラームも鳴り止みます。
ほんに小さいなアラーム音です。
普通の生活では、気づかないほどの小さいな声です。

スタジオジブリ制作『天空の城ラピュタ』(宮崎駿監督・1986年公開)の中で、ポムじいさん(声・常田富士男)が廃坑内の中でランプの明かりを消して言います。

「石たちの声は小さい。どうら、見せてやろうか」
見えない真っ暗の洞窟に飛行石を含む鉱石が光りだします。
洞窟一面が、明るく光るシーンですね。

世の中には、見えるものと見えないものが存在します。
見えるから存在し、見えないから存在しないものではありません。

仏法世界の妙と法、二つ物事によって成り立っています。
見えないものが、見えることもあります。
見えないけれど感じることも出来ます。
そんな不思議なことは多いです。

ポムじいさんの声優・常田富士男と言えば、『まんが日本昔ばなし』ですよね。
「むかし、むかしのことじゃった」

子供の頃に見ていましたね。
その頃、2000年が来るとか来ないとか、ノストラダムスの大予言、地球滅亡なんかが、少し少し話題になっていた頃でしたからね。

そんな時からは、今の社会を想像は出来ませんでしたね。
いい意味でも悪い意味でもです。
モラルの欠如が顕著です。
悲しい時代です。

そうそう、痛風の予兆、アラームの話でしたね。
そんなこんなで、痛風のアラームの声も小さいのです。
逃せば、発作が起きます。
すこし節制をしようと、カロリーセーブに入りました。
イメージ 1

昨晩の晩酌の肴は、ステーキです。
日曜のポークソテーに続いて、ステーキ三昧です。
ステーキと言っても、コンニャクです。
コンニュクステーキです。

漢字にすると蒟蒻です。
何となく、ひょろひょろとした頼りなさです。
男には必要とされる砂出しの効果があるとかないとかですね。
美味しいから食します。

コンニャクの刺身、コン刺しもなかなか乙な味わいです
パッケージの写真を見ると何とも豪華なサイコロステーキですね。
でも、実際にステーキにすると、何とも寂しいです。

すてーきという言葉に、ワンピースのイワンコフ、ことイワさんの「すてーな」という言葉に聞こえます。
「ヒーハー」
イメージ 2

ステーキというと、家庭で作る洋食の極みです。
なかなか上手に焼けません。
蒸し焼きにしないといけないですね。

このコンニャクもなかなか難しいです。
どう見てもコンニャクです。
そのまんまです。

ステーキにしても、やはりコンニュクにしか見えません。
ソースが味の決め手です。
XO醤、海鮮エキス、ガーリック、胡麻油、ベースは醤油ですね。
少しコクとがあり、甘めのソースで、どちらかというと味噌カツ八丁味噌ぽい味わいです。

それでも、46kcalと言うのは魅力的です。
低カロリーの代表食品です。
少しカロリーセーブ出来たと思います。

コンニャクというと、やはり落語の「蒟蒻(こんにゃく)問答」ですね。
にせ坊さんの蒟蒻屋の六兵衛と旅の禅僧との問答です。

旅の禅僧は、意味難解なことを問うて来ます。
それを無言に返す。

これに対して禅僧も、しからば拙僧もと、手で○を作って見せる。
六兵衛、無言のまま、両手で大きな○を作って見せる。

続けて禅僧、十本の指を突き出すして来る。
六兵衛、無言のまま、片手で五本の指を差し出す。

すかさず、禅僧、三本の指差し出します。
これに六兵衛、面白い顔して、アッカンべーで返す。

禅僧、「恐れ入った」と逃げだす始末です。
何が何やら分からないまま、勝利です。

もう一人の偽坊主の八五郎が追いかけてわけを聞くと
「拙僧の及ぶところではござらん」
という答えです。

『天地の間は』と申すとの問いに、『大海のごとし』というお答えでした。
『十方世界は』と申せばとの問いに、『五戒で保つ』とお答えでした。
『三尊の弥陀は』との問いに、『目の下にあり』とのお悟と返答です。

それでは、到底拙僧の及ぶところでない悟りの境地に入られているので、これは恐れ入りと言うことにて、逃げ帰ったと言うのです。

なかなかよく出来ています。
しかし、蒟蒻屋は、○は、にんにゃくの大きさだと勘違い、10個で代金はいくらだと言われたので、500文を300文に、まけろと言われたので、あっかんべーしたという、何ともトンチンカンな話です。

よく出来ています。
きちんとした仏法の教えや禅の教えを踏まえた上での話であるが故に、聞いている方もそれなれに楽しめますね。
それに無言で問答をしている時の表情も演者の腕の見せ所ですね。
禅僧と偽坊主のにんにゃく屋との、人格の使い分けも演者の腕と言えます。

禅の問答自体、こうした不思議な世界です。
公案と呼ばれる師と弟子の二人の問いかけです。

圓悟克勤禅師の『碧岩録』(けきがんろく)なんかに見ることが出来ます。
難しいですね。
私如きには、一つとして解けません。

しかし、答えは、一つではないはずです。
悟りへの段階をゆっくりと考える物事のプロセスだと感じています。
人は、どこから来てどこに行くのか、どう生きていくのか、そんな不安を和らぐことが出来るかもしれません。

他力でなく、自分の力で悟りに近づく禅ならではですね。
まさしく形のないものを見る。
見える力をつけることにあるように感じます。

悟りとは、程遠い生活ですが、日々の中に、日々の生活にこそ、幸せはあるように思います。
その安穏を感じることが出来るか、出来ないかは、人の心の持ちようです。

こんにゃくのステーキも、牛肉にも、豚肉のステーキにも感じられます。
「うまい」かもです。
今の私の体調に最高のステーキです。

今日も雨振る一日ですが、私も世の中も平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、低カロリーな話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。