''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

『素直な心になるために』、神様の声より。

今日も暑くなりそうな京都伏見の地です。
多分、今日が夏の最後のピークでしょうね。
台風の到来より、朝夕の秋の気配は強く感じます。

私事ながら、朝のシャワータイムに、いつものように体重計を乗りました。
この仕事場の暑さとまじめに勤務したせいもあり、20歳の頃の体重になりました。
私的な大台を下回りました。
小柄な私としての大台は、四半世紀ぶりの突入です。

今年の暑さは厳しかったと思い直されます。
それと、いろいろなことがあって、健康管理をせざるを得なくなった言えるのが一番です。
ダイエットというのではなく、体調を気使った結果です。

アルアルタイムを平日なくしたのが、一番の原因です。
晩酌をしようとすると、何か肴が必要です。
これを廃したのが、一番の原因です。

何事にも、原因と結果が伴います。
十如是という言葉が、仏教用語にあります。
天台、法華とともに、三千世界の法理、考えの中に出てきます。
あらゆる物事の因縁、原因と結果を導き出す仏の物事の通りとも言えますね。

難しいものの考え方です。
しかし、それは知らず知らずにそれらの因縁の中に、私たちの成果が絡み合っています。
複雑な因縁の不思議でもあります。

悪い行いをせず、いい行いをする。
分っていてもなかなか出来ない。
人間のサガですね。
時に菩薩のやさしい気持ちにも、時に畜生のような恐ろしい気持ちにもなります。
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経営の神様と言えば、松下幸之助氏です。
松下グループ創始者にして、経済界、文化界に多大な貢献をされた偉人です。
自ら始められたPHP活動の中で、『素直な心になるために』(PHP文庫)という本を出されています。

2004年の出版ですので、神は1989年に他界されていますので、その後の出版ですね。
1974年秋に、「素直な心になるための提言」というものを会社において募集それて、本書をまとめるにあたっての参考にされているということもあります。
松下語録が多いですからね。

素直な気持ちになるとは、自分だけでなく、他人も思いやるという、まさしく仏の求める世界とも方向性を同じくするようなものですね。
分っていてもなかなか素直になれないですね。
自我が邪魔をしますし、なかなか社会が素直にさせてくれません。
それも言い訳です。

著書は、いつくかの項目が、日捲りカレンダーの言葉のように、短い章に分かれています。
どれを読増させて頂いても、至極当然納得できることです。
しかし、現実になると、上手くいきません。
それが凡夫の儚さです。

その中で、よく出で来るのが、「毎日」、「いつも」というように、常に心の拠り所に置くということでしょうね。
これは納得です。

私も、常に心静に過ごすということを旨に置いています。
イライラ虫もウジウジ虫も、時に心を侵されます。
そんな時は、観音様の名を唱え、心の三毒を廃します。
ありがたいことです。

すこし時間も経てば、治まります。
日々の生活の中で、消化することが必要ですね。
常に心の片隅に置いておくことが、それを上手に使うことが出来る秘訣かもしれません。

日々の生活の中にこそ、そうした極意があるのかもしれません。
花を見て、月を見て、あらゆる五感で、四季を感じ、その中に住しているということを自覚する。

今あるのは、偶然ではなく、必然です。
何かの力で、生かされているということを感じる。
ありがとさんと感謝の気持ちを常に持ち続けることは、素直になれる一歩かもしれません。
まだまだ修行の身です。
お恥ずかしいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、昭和の偉人の前説にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。