''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

そうめん活用、中華風のあんかけそうめん、有りかナシか より。

曇り空の京都伏見です。
気温は暑いままですが、日差しは雲がかかって、幾分か過ごしやすいです。
昨日の日曜は、デリバリーサービスのある日でした。
心あるボランティアのカメラマンが差し入れを持って様子を伺っています。
「ピンポーン」(貧家は呼び鈴がないので、イメージの音です)
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あれあれ、そうめんですね。
それも中華風のあんかけそうめんです。
麺とあんを別々にご持参して、あわせてあんかけ麺にしましたね。
なかなか美味いですね。

あんの加減もすこしゆるい目に作ってあります。
うづらのたまご、海老、イカとシーフードミックスをお使いのようです。
白菜でなく、レタスを使われています。
なかなかいいですね。

あんの中華スープがよく効いています。
こりゃ、そうめん活用にもってこいです。
チャンプルみたいに炒めるのもいいですしね。
かすかにごま油も隠し味に入っていますかね。
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これだけでは寂しいと、おかずも差し入れです。
ビーブンにいろいろな物が入っています。
マーボーなレンコンもインパクトがあります。
真ん中には、お手製のシューマイです。

形からすれば、小籠包(ショーロンポー)ですね。
おひねり形です。
大葉が入っています。
その香りが清々しいです。

なかなかいいですね。
私も、大葉入れてまねて見ます。
ギョーザにも言えますよね。
いろいろと使いまわし出来そうです。

知恵と元気を頂きました。
ありがとさんです。

あれ、あれ、果物についてもふれましょう。
リンゴではなく、ナシですね。
瑞々しいナシをお裾分け頂いたものを、私がお裾分けに預かりました。
なかなかジューシーで美味いです。

京都も、八幡市というところが、ナシでは有名です。
八幡と言えば、石清水八幡宮ですね。
それと、エジソンの電球のエレメントがここの八幡の竹でした。
食べ物好きから言えば、八幡巻ですね。
ゴボウを鰻で巻いて焼いた惣菜ですね。

なかなか美味いですからね。
料理屋さんの前菜や八寸の付け合せによく用いられる食材です。
お弁当の中にも入っていますよね。
子供の頃よく食べました。

それにナシは有名です。
水がいいからでしょうかね。
京都でナシというと、ここを思い出します。

料理屋さんにいたことがあります。
その頃は、料理人としてでなく、中番としてです。
中番というと、料理とお座敷をとりなすセッティングと料理の器の管理を含む・コーディネーターでしょうかね。
料理を作るより、盛り付けたり、食材と器の調和を図るのが楽しいです。

昔いた料理屋さんの持ち物が凄かったです。
月毎に、器を変えます。
料理のコースごとに器が違います。
3万円以上の料理のコースとなると、特別な器や道具を使います。
一度だけ、5万円のコースを見たことことがあります。

使う道具も、その店最高の道具です。
塗り物も最高の塗りの椀です。
盆も、大皿も、骨董品でもなかなかないほどの逸品でした。
蒔絵の美しいこと、美しいことです。

美術品かと間違うほどのいいものです。
特に塗り物は凄かった。
器もいいものでしたね。
一つ一つ、桐の箱から出して、前日にすべてを用意しておきます。

倉庫には、膨大な器道具の山です。
私にとってはお宝の部屋でしたね。
箱ごとに写真が貼ってあります。
中を見なくてもいいようになっています。

季節季節で器が決まっています。
もちろん、コースの値段に応して用意があります。
高級な洗い物も担当していましたので、こうした高価な椀は、ぬるま湯を使いながら優しい布で洗います。

スポンジなどは厳禁、もっともです。
洗剤もほとんど使いません。

漆器のことをジャパニーズと言いますが、やはり日本の文化、特に食文化と大きく関係がありますね。
温かいものを温かい内に頂く、旬を色や香りを一椀に封印するかのようです。

椀物は、和食の華ですね。
彩り、香り、色、味、繊細な盛り付けに、その塗りの椀が応えます。
朱色は、朱色を、黒は、黒を鮮明にさせます。

それにいいものは、大変軽いです。
木地をしっかりと乾燥させていますからね。
芸術品です。

それを扱う方法も客として会得する必要があります。
美味いまずいという言葉でなく、そこに至るまでの知識も必要です。
この時期の椀の絵柄であったり、季節であったり、すべてがゴーディネイトされています。
座敷のお軸も、生けられてる花もです。
その空間で食を成すと言うことですから、すべてを楽しめる勉強はした方が楽しいです。

その料理屋さんは、先代がすごい方でしたね。
お会いしたことはなかったですが、道具を見れば分ります。
儲けは、道具に器に軸に、そして、人に優先です。
その上で、商売を守り立てる。

現在は、道具にも器にも軸にも、人にも優先しません。
商売も下降気味ですね。
道具には、会いに行きたいですが、客として行きたいお店ではありません。
有名なお店です。
先代の功績が偉大です。

なしと聞くと、いつもこの話を思い出します。
いつものように、お座敷のコース料理です。
仲居さんが持っていく配膳の仕上げをします。

配膳場にも、コースの内容が書かれています。
最後の水菓子は、なしです。
この時期でしたからね。
どうも、イメージがあいません。
平仮名でなく、漢字で書いた方がいいですね。

料理屋さんでは、なしとは言いません。
有りの実(ありのみ)ですね。
なしは、物事が無いや、ゲンのいい言葉ではありません。
有りの方にする方がゲンがいいです。
料理も美味しくないと成りますからね。

ちょっと間抜けな仲居さんです。
いつまで経って、最後の水菓子を取りに来ません。
早くしないと温まるし、梨が乾きます。

「あー忙しかった」と下げ物と片付けを済まれて、配膳に下げ物されています。
水菓子が残っているというと、今日は水菓子なしと聞いていますよって返事です。
♪チャンチャン。
有るんです。
こんなことがね。

やはり、漢字にしないといけませんね。
悪い予感が当りました。
料理の名前が読めない仲居さん、それに料理人さんも多いです。
時雨という字が読めない料理人さんもいましたね。
「ときあめ」と読まれていました。

当然、しぐれという言葉も意味もご存じなかったです。
もちろん、元の和歌も当然ご存知ありませんね。
「神無月 ふりみふらずみ定めなき 時雨ぞ冬のはじめなりける(り)」(よみ人知らず)

料理、旬、四季、そして、和歌などは、その深い関係がありますからね。
お茶も、器も、その銘々を、和歌に求めることもありますからね。
大変深い勉強が必要です。
毎日が勉強です。
知識は、どこで必要かわかりません。

何かのために学ぶのでなく、ふとしたことで学べることがあります。
耳学問ですね。
私は、すこし苦手で、文書で読まないと記憶に留まりません。
いい間違いや聞き間違いで、うる覚えもあって、活字で学ぶようにしています。

ナシから始まることもあります。
特に問題はなしです。
有無の違いは、そこにあるか無いか、いえいえ、そこに見えるか見えないかですね。
見えないと「なし」といい、見えると「ある」といいます。
本当にあるか無いかでなく、見えるか見えないかの世界でもあります。

見えないけどあることもあります。
見えないけど感じることもあります。
仏の世界、「妙」と「法」、見えないか、見えるかの、表裏一体の関係が、ものごとにはあります。

なしをありと読めるのは、素晴らしい発想ですね。
何も無くても、幸せがありと感じます。
ありがたいと感謝して生きていけます。

日々の暮らしの中に、今ここに見えないだけです。
喜びも、幸せも見えません。
見えないものを見つける喜びが良かったと感じます。
ありがとさんです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、ありやなしやの話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。