''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

忘れていました 餃子も食べました より。

昨日は、昼ごはんネタを久しぶりに記事にしました。
書き忘れがありましたね。

このお店、餃子が売りでもあります。
餃子の種類も多い餃子のお店でもあったみたいです。
とりあえず、餃子もオーダーしました。
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すこし小ぶりな餃子です。
焼き目がパリッとして、なかなか美味いですね。
この餃子オーダーする時、店員さんが尋ねられます。
「にんにくは、あり? なし?」

ニンニクは苦手です。
ナシの方でお願いしました。
なかなか珍しいお店です。
良心的な気もします。

中国では、ニンニクを餃子に入れません。
今ではあると思うのですが、私が1988年中国に行った時には、焼き餃子というのは中国ではメニューに載っていなかったですね。

餃子というと、水餃子です。
もしくは、蒸餃子ですね。
焼き餃子というのは、水餃子の残り物を家庭の賄いごはんとして頂くものだと聞いていました。
家で食べる味と言うことですね。

日本人は、焼き餃子好きですよね。
私も大好きと言うほどではありませんが、好きな方です。

にんにくと聞けば、妙法華経の法師品第十の一節、柔和忍辱(にゅうわにんにく)の心を思い出します。

若し善男子・善女人あって、如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に坐して、爾(しか)して乃(いま)し四衆の為に廣く斯(こ)の経を説くべし。

如来の室とは、一切衆生の中の大慈悲心是なり。 如来の衣とは柔和忍辱の心是なり。
如来の座とは一切法空是れなり。

仏さまの願いは、一切衆生を救うことです。
腹立つこともあります。
救おうとしても、言うことを聞かない不埒な者もいます。
それでも、大慈悲心で、柔和忍辱の心で接します。

ありがたいことです。
おすがりしています。

この時期、にんにくと言えば、あれです。
赤穂浪士忠臣蔵です。

浅野内匠頭が、松の廊下で吉良上野介に刃傷に至った。
これが赤穂事件の始まりです。

何故に、耐えなかったのか、忍辱の心、つまり柔和忍辱の心がありさえすれば、こんな事件にはなっていなかったはずです。

大石内蔵助殿も、平凡な暮らしを出来たことでしょうね。
家臣の生活も一変です。

それ以上に、どんな遺恨があったというのか、いびりか、いじめか、原因不明です。
吉良家は、源氏の流れをくむ名門です。
ましてや、浅野は5万石ながら、城主です。

いじめなどないと考えます。
もし、あるとすれば感覚の違いです。
当時の元禄時代は、バブルの時代です。
貨幣価値が、毎年変わり勢いです。

浅野の殿様は、なかなか金銭においても細かかったようです。
それに、痞(つかえ)という病も、その原因とも言われます。
現代にない病は多いですね。

芝居などでも、女性が道中の道はしによって、苦しんでいます。
「持病の癪(しゃく)が・・・」(女形の声色で)
何とも艶(つや)ぽいです。

何か都合が悪いと、痞(つかえ)や癪(しゃく)と定型句になっています。
女性なら、癪(しゃく)は、更年期障害とか、なかなか表現できる病名が無かったかもしけません。

痞(つかえ)も一種の精神疾患でしょうね。
病のために、家も家臣も運命を狂わしたというのは、あまりにも悲しいことかもしれません。
今で原因不明の元禄の大事件ですね。
名誉のためにも、吉良殿、なかなかの名君で通っていますからね。

現代に生まれたことに感謝です。
そして、仏縁を頂けたことはこの上なくありがたいです。
手を合わせます。

柔和忍辱の心を持つようにします。
心の三毒も、多少は静まり返ります。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように祈るばかりです。

最後まで、匂いの強い話のお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。