''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

フルーツパフェから始まる物語より。

先日の日曜日の続きです。
ご飯を食べてから、ヨドバシカメラに行きました。
あえて京都のでなく、梅田のヨドバシです。

 

携帯端末、最近のスマートフォンに興味がありました。
表記的には、スマートホンですかね。

 

いろんな機種が出ていますね。
そんな中、シャープのガラパゴスという端末があります。
これも興味がありました。
デモ機を使ってみるとなかなかいいですね。

 

やはり、ipadの発売以来、大きなタッチ画面の端末が注目されていますね。
ノートでもなく、キーボードもないタイプです。
仕事に趣味にと幅広く使えますよね。
それに通信機能だでなく、ダウンロードして雑誌や新聞を読むのは憧れます。

 

紙の雑誌や新聞ももいいです。
もちろん、小説も紙もいいです。
しかし、写真や映像がその場で見れたり、加工出来たりするのは、魅力がありますね。

 

携帯なら、シャープのauIS03も魅力がありそうですね。
予約も殺到しているともニュースで読みました。

 

この分野もまだ開拓の余地はあります。
大きさも、10インチがいいのか、7インチがいいのか、5インチがいいのか、しっくり来るサイズを自分なりに見つけないといけませんね。

 

貧家の予算では、なかなかじっくり待ってからの選択となるでしょうね。
玉石混交(淆)の様相です。

 

しばし買わずにウインドーショッピングです。
そうそう3Dテレビも見ましたね。
いちいちメガネかけてテレビは見たくないという感じでした。

 

皆さんも、すでに3Dテレビご覧になられました?
その内、香りとか、味とか、気温とかを実際に感じるようなテレビも出来そうですね。

 

歩く疲れて、お茶にしました。
駅前の新梅田食堂街にあるtea room ドリヤードに立ち寄りです。
二階もある大きめの喫茶です。
この辺は安く美味しいものでいっぱいです。

 

やはり、私はコーヒーを頼みましたね。
同行カメラマンは、メニューをじっと眺めて、「フルーツパフェ」ってオーダーです。

 

さっきごはん食べたじゃないの。
何でも、こちらは別腹みたいです。
甘いもの好きですね。
イメージ 1

ブロガーの悲しいサガです。
人様の物まで写真を撮ります。

 

燦然の輝くマスクメロンといい、プリンといい、バナナ、アイス、そしてリンゴもウサギさんにカットされています。
これで650円とは、お手頃ですね。
因みにコーヒーは300円だったような記憶です。

 

「少し多いので、お手を貸して」と声がかかります。
「さすれば、ご助成つかまつる」とティースプーンの銀の太刀にて、助太刀に入りました。

 

甘いソースがかかっていますね。
甘いソースと言えば、甘い汁です。
この時期、甘い汁と言えば、あれです。

 

赤穂浪士忠臣蔵です。
越後屋、そちも悪よの」
「柳沢様には、到底及びません」
二人の高笑いがしそうです。

 

元禄と言えば、江戸のバブル時代です。
武士より商人です。
お金がすべてに思えた時代です。

 

武家はすべて困窮している時代です。
大名も、商人から借財をしています。
頭が上がらなかった時代です。

 

武士道も廃れそうになった時代に起きた事件が、赤穂事件です。
主君の仇打ちに、庶民も武士もやんやの喝采です。
♪いつもように幕が開き~
喝采ちがいですね。

 

世は乱れ、賄賂が表に出てくる時代でもありました。
柳沢 吉保と言えば、大抵は悪役のイメージですね。

 

第五代将軍徳川綱吉の寵愛を受けて、側用人にして、後には大老格として幕政を主導した張本人です。
この方の意向で赤穂事件が大きくなったとも言えますね。

 

官位は従四位下・左近衛権少将出羽守(でわのかみ)、後に美濃守(みののかみ)。
吉良上野介の官位が、従四位上と吉保殿より吉良殿の方が上です。
左近衛権少将も不思議と同じです。

 

160石の武士が、一代で甲府藩(山梨県甲府市)15万石の大大名の藩主になるなど、江戸時代では特例中の特例です。

 

太平な世の中にあって、武士が出世するのは難しい時代です。
先祖の禄は、終生変わることなく、同じです。
減らされることはあっても、加増されることはほぼないです。

 

気難しい将軍も上手にコントロールできる才があったと言えます。
主君が何を望んでいるのかを、主君以上に表現することが長けていたとも言えます。
論語の講義がしたと感じれば、我先に門弟となって、その講義を拝聴する訳です。
こんな才があれば、今時私も出世していたことでしょうね。

 

悪人のイメージですが、名君としての声もあります。
それが為に、幕末まで子孫はそのまま残っています。

 

経済が活性化していた時代です。
土地のから取れる米を、経済の基盤においていた時代です。
そんな中で、金銭による経済価値を機軸に置いたという意味では、田沼殿と同じく再評価もありではないかと考えることもあります。

 

私腹を肥やしたかと言われますが、将軍の度重なる柳沢邸へのお渡りも、如何ばかりの費用になるかと思うと、私腹を肥やすほどのことは無かったように思えますね。
領地も上手に統治されていたようです。
吉良殿同じく、柳沢殿も名君の聞こえがあるのも事実です。

 

ここまで来ると、赤穂事件とは一体なんだったのかという疑問を持ちます。
もしかしたら、一種の精神疾患が、大きな時代のボタンを掛け違ったのではないかと感じます。

 

それでも、世に残る方にした原型は、やはり大石内蔵助殿の仕組んだ苦悩の中でも決断であったことに違いはないと考えます。
死して、名を残す師子王の如くです。
仏法世界でも、妙法華経は、師子王の如くの真実の教えであると考えています。

 

真実が何かは、私のような凡夫には理解できません。
しかし、今日あること、今あることに感謝している気持ちは、真実です。

 

生かされていると感じています。
ありがたい仏縁にも感謝しています。

 

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈ります。

 

最後まで、甘い話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。