''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

いろんな物をハカリます。メジャー物語より。

秋空のいい天気です。
昨晩は、雨と風の強い最中遅く帰宅となりました。
いろいろといろんなことが起きます。

正直疲れることが多いですね。
仕事のことで言うと、下の者と考え方が合わないことが、しばしばあります。
どこに正義があり、どこに話の落とし所を着けるか、考えてか考えずにか、疑問符を付けたくなることがよくあります。

人の考えは千差万別です。
私考えが正しいとは押し付けません。
しかし、冷静の判断の中で考えれば、どうすることが一番治まりがいいのかを考えているつもりです。

今すぐに白黒を付けずにいい問題もあります。
そう、たとえば、人のうわさも何日とか言いますよね。
時間が解決してくれることもあります。

常に答えはありません。
結果も出ることもあれば、出ないこともあります。
算数のように、これが正しい答えと分ることと、分らないことがありますね。

人の気持ちは難しいです。
計り知れないものがあります。
じゃ、計ってみましょうかね。
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これで計れるなら、便利です。
禅の言葉に、測量というのがあります。
そくりょうと読まずに、しきりょうと読むようです。
このブログでも何度か紹介しています。

両手をたたいて、どちらの手が鳴ったと聞きます。
「両手」という答えはダメですね。
どっちの手が鳴ったと尋ねているのですからね。

答えにくい答えもあります。
もっと言えば、右でも、左でもいいんです。
究極に言えば「鳴ってない」と言ってもいいです。
空耳かもしれません。
どうせこの世も、仮の空(くう)なんですらね。

禅は、問答の中に、答えではなく、考えを求めます。
それが、一つの答えではなく、仏の道に則していればいい訳です。
しかし、それが則している否かは、師でないと分りません。

答えだけでなく、その行いすべてを見て判断される訳ですからね。
答えだけ聞いても、それは正解ではありません。
難しいものです。

人の気持ちといえば、この時期、赤穂のお仲間の気持ちを察します。
主君が切腹、お家断絶となれば、その気に乗じて、篭城だ、戦だと言うのか簡単です。
しかし、一年もすれば、人の気持ちは変わります。
浪々の身となれば、今日食う糧も困ります。

そんな中で、主君がどうだと言えるものではありません。
武士という身分があり、主君という家禄をくれる主人が居てこそ、偉そうに威張っていられます。
主君もいない浪人では、世間様が今まで通りには接してくれません。

折角、主君の仇を討つと約束しても、実際には参加する気がないと言うこともあります。
大石内蔵助殿は、一度神に誓いを立てた起請文を、仲間に変えさせます。
仲間になって主君の仇を討つという誓いです。
神に誓った以上、武士の一分が立ちません。

それを、返してくれるなら、黙って受け取る。
それこそ、ありがたいと手を合わせたいほどです。
ここで、「それは否ことを・・」となれば、今でも仇討ちに参加する気持ちがある証拠です。
それなら、もう一度同士として行動を共にする。
つまり、仲間を再確認させたわけです。

なかなかの知恵者です。
1500石のボンボンの家老職にはなかなか出来ない知恵です。
若い頃の京都での苦労のし甲斐があったのかもしれません。
諺に、可愛い子には旅をさせよというのも、なかなか当っているかもしれません。

この起請文の返しが、まさしく計りのメジャーになったんですね。
これで、結束が強まりました。
それでも、脱落するものは居ましたからね。
やはり、頭の資質だけではどうにもならないこともあります。

落語に、確か「起請文」というのがありましたね。
廓り色恋の翻弄される男の話です。
女は営業で、幾枚も起請文を書きます。
そんな紙に騙されてはいけませんね。

紙だけに、神に誓いを立てたことは、守る必要があります。
契約書も同じです。
口だけでなく、書面として約束するわけです。

現代社会とは違う江戸時代、それでも、同じ人の道を守らないといけません。
それを守った人の集団が、赤穂事件の結末です。
温故知新としての歴史は大切です。

今日もありがとさんと手を合わせます。
いろいろな人のご縁があります。
いい縁もあれば、悪い縁もある。

仏縁におすがりして、生きていけることは、ありがたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように祈ります。

最後まで、計りしれない話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。