''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

12月の禅語のカレンダー より。

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早いもので、今日から12月です。
師走となれば、何だか慌ただしいです。

 

世の中は、クリスマスソングの様相です。
その反面、伸るか反るかの大事な1ヶ月でもあります。
世の中は不景気で、ケーキと言っても甘くない辛いケーキです。

 

小学生の恩師に頂いた禅語のカレンダーをめくります。


12月は、光陰如箭 (こういんやのごとし)です。
禅語では、こう書くようです。
建仁寺派管長 小堀泰厳老師の書です。
力強い書体です。

 

大意
禅堂の時を告げる木板に「生死は大事なり。無常は迅速なり。光陰矢の如し、時人を待たず」と説き、時間の大切さを修行者を戒める。時間ほど大きな働きをするものはむあるまい。早い一日、無駄なく有効に使ってこそ充実した一日がある。

 

他(ひと)は十二時使われ、我は十二時を使う。(趙州和尚の言葉)
「随処に主と作る」の意味に通じますね。

 

一日の二十四時間に使われず、使ってこそ無限に充実する時間であります。
なかなか言うは安し、行うは難しい言葉です。

 

12月最後にあって、その意味も深くなります。
12月と言えば、極月です。
私の12月のサブテーマは、毎年、赤穂浪士です。

 

時間と言うのは、あっと言う間です。
今年もすでに、あと残すところ31日になりました。
早いです。
しかし、苦しい時間と言うのは、なかなか過ぎません。

 

松の廊下の刃傷が起こったのは、元禄14年3月14日(1701年4月21日)です。
それから主君の恨みを晴らしたのが、翌15年12月14日(1703年1月30日)です。
月こそ違え、祥月命日の日ですね。
1年と9ヶ月の歳月は、47人にとっても長い歳月であったと、推測出来ます。

 

世の中は、冷たいものです。
赤穂でなく、阿呆だと揶揄されていました。
それも、我慢の事、大事の前に真意を漏れるわけには行きません。
そして、仲間からも脱落者を出し、最後の機会だったかも知れません。
天も幕府も味方した。
それが、赤穂浪士忠臣蔵という事になります。

 

主君の仇を打ったとなれば、一躍時の英雄ですからね。
世間ほどいい加減なものもありません。
時の隔てて、芝居や歌舞伎になり、近年では映画やドラマと現代でも、脈々と話が続いています。

 

何か、そこにはエッセンスがあるんでしょうね。
時を超えた人の生き方かもしれません。
自分に出来ないからこそ、そうした偉人の出来事に、何かを重ね合わせることになります。

 

47人に、身分の違いはあれど、それぞれが主人公になっています。
誇らしかったと思います。
「武士道とは、死ぬことと見つけたり」の葉隠の一節が、浮かびます。
切腹したことによって、その名は数百年先の現代まで、伝わります。

 

アニメ「ONE PIECE」の「ゴール・D・ロジャー」の残した言葉で、大海賊時代の幕開けになったのと、似ています。
冥王シルバース・レイリーとの最後別れ際に、「相棒、俺は死なない」と言う言葉の意味が深く感じますね。

 

忠臣蔵は、脚色された話ですが、史実の中の赤穂浪士と言う中から、いろんな真実も見え隠れします。
47人の中に入った者の、入らなかった者、それぞれの違った人生が、そのあとにあります。
内蔵助の念願したお家再興も叶います。
主君の仇討ちと、お家再興の両方の願いを叶えたことになります。

 

やはり、策士と言えます。
しかし、内蔵助にとって、これほど長く感じた時間はなかったでしょうね。
責任者として、その重圧は計り知れません。
リーダーとしての資質を、今こそ見習う時です。

 

責任者は、非常事態にこそ、その真の実力を発揮します。
この日本の国難にあって、現代のリーダーにそんな方が居るのか、もう一度考えて、今月の総選挙に一票を投じたいです。

 

「おのおの方」

 

日々の暮らしの中にこそ、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁に感謝しています。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、強引嫌な如しの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。