''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

具だくさんのちらし寿司から、見える新世界 より。

朝から寒いです。
取りあえず、手足の寒さは堪えます。
誰が言ったか知らないけど、底冷えの京都は、よく冷えます。

盆地独特の風土が、夏に冬に、よく特徴が出ています。
修学旅行で、京都に来られたなら、驚かれるかも知れません。
来られるなら、桜の時期が、もみじの時期です。

ブログのお友達のお嬢さんが、今京都に修学旅行に来られています。
いい思い出を作って頂きたいですね。
そして、また社会人になっても、国内旅行なら、京都に行きたいと思って頂ければ、京都に住む播州人としては嬉しいです。

京都伏見に暮らして、早四半世紀も超えています。
それでも、やはり、播州人の気質は捨てられません。

日本人の好きな食べ物に、お寿司があります。
最近は、外国人にも人気です。
生魚を食べる習慣のなかった西洋人も、中国人も、ヘルシーだと言う理由で、お寿司がお好きです。
酢飯が、嫌いという方も多いです。
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先日、ちらし寿司を頂きました。
具だくさんです。
刻んだ穴子、タコ、海老、錦糸卵に、刻み海苔、グリーンピースに、きゅうり、そして甘酢の生姜などです。
やはり、ちらし寿司は具だくさんじゃないと美味くないです。

子供の頃、母が作ってくれたのは、バラ寿司です。
関西では、ちらし寿司と言わずに、バラ寿司ということが多いです。
違いは、お寿司屋さんなどで頂く、ちらし寿司は生魚が乗ります。

バラ寿司は、炊いた具材が乗りますね。
家で食べるのが、バラ寿司で、お店で食べるのが、ちらし寿司のような感じです。
どちらも、酢飯に具材がたくさん乗ります。

播州は、レンコンの産地ですから、バラ寿司にレンコンが炊いたものが入ります。
レンコンを、真二つに割ると、外は黒くても中は白いです。
穴が空いていますので、先を見通せると、競馬場や競輪場の一杯呑める店屋では、ゲンのいいものとして、煮炊きものが売られています。
そう言えば、ちらし寿司、握り寿司や、巻き寿司もよく見かけます。

私の今月のサブテーマは「赤穂浪士」です。
バラ寿司のバラと言えば、赤穂浪士の同士の思いです。

全くバラバラでした。
よく、ここまでまとめた物だと感心しています。
上方でも、京都、大阪、岡山、あちこちに、同士がバラバラ居ました。
そして、思うところも違えで、まずは、内蔵助の御家再興の方針でまとまりを見せます。

しかし、急進派の江戸では、すぐにでも吉良の首をとりたいと、切望していました。
その急先鋒は、堀部安兵衛です。
高田の馬場の仇討ちで、有名になり、それが縁になり、浅野家に仕官します。

浅野の腰抜けと言われることが、どうも気になって仕方がないです。
あの堀部安兵衛ですから、やはり、江戸の庶民も、仇討ちを期待するところも大きかったでしょう。
とりあえず、上方と江戸には温度差があった訳です。

蔵之介は、家老として、大学を主として浅野家の再興を一番に念じます。
しかし、安兵衛では、御家再興と仇討ちは別のものとして捉えています。
ここに、食い違いが大きかったです。

浅野大学に処分が降ります。
浅野本家に、お預けとなった。
これが、二つの派の落しどころを見つけたことになりました。

これで、吉良上野介の首を討つと、目的が一致して来ます。
仮に、安兵衛が江戸の同士だけで、吉良を襲撃して、首を取ったとします。
それなら、これ程の後世に残るエッセンスの事件にならなかったはずです。

浅野の旧臣が、亡き主の敵を討っただけでなく、47人というまとまった人数で、吉良家に討ち入ったことが、重要なエッセンスです。
これが、10人なら、また話が変わります。

約50人と言う数字が、必要なことになります。
赤穂の旧臣の総意と言うには、50近くは必要です。

最初に、内蔵助に命を任せると、一任したのは、100人を超えています。(120人ほどです)
それが、月日が経てば、人の気持ちも変わります。
生活があり、家族があり、人それぞれ事情が変わります。

人は悲しい事ながら、人を裏切ります。
裏切るのが、ごく普通だと思います。
ですから、裏切らない人は、かけがえない大事な人になります。
そんな大切な縁は、大事にしないといけません。

やはり、100人で討ち入るには、基本無理があったと思います。
ですから、本当の同士を見極めるために、起請文(神文)を返させた。
ここで、その人の本性を見たことになります。

「時期が悪い。もう少し時節を待つてはどうか」
そんな答えが多かったと聞きます。

何が何でも仇討ちをすべしと、唱えた高田郡兵平(200石)がその代表格です。
最初に威勢がいい人は、最後に裏切ります。
自分の存念は、すぐに言葉にしないものです。

討ち入り後にも、泉岳寺に酒を持って訪れたと言います。
どのツラ下げて、来れたのでしょう。
普通なら、同士から脱落したことを申し訳ないと思い、46人にはお会いできません。

高禄の方は、縁やツテを使って、再仕官も可能です。
ですから、最初は忠義と言いながら、時期が過ぎれば、やはり、仕官の道を進みます。

それも、仕方ないことです。
その言い訳をさせてあげる為にも、起請文(神文)の返還は有効的でした。
それでも、最後まで脱落者も出るもものです。

最後まで、目的を持ってヤリ抜く事の難しさを、乗り越えた所に、赤穂浪士の姿があります。
一人一人より、その集団芸の華やかさです。
まるで、AKB48のようです。
こちらも、AKO47です。

♪会いたかった 会いたかった、吉良に~

そして、映画やドラマなら、「吉良少将様とお見受け致します。主・内匠頭の仇討ちに、一同にて推参致しました。お覚悟!!」と言いながら、お肉通しの短刀で、最後の止めです。
でも、史実は見つけた時には、すで絶命の状態で、初お目見えです。
吉良殿は、AKO47とは誰とも遭わずに、お先に逝かれたことになります。

芝居と史実は、てんでバラバラです。
こんな所にオチを付けました。(今日は、この辺にしとったる)
今日は、13日、まさしく宵山です。
明日、深夜討ち入ります。

日々の暮らしの中で、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁に感謝しています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、お皿いっぱいネタを散りばめた話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。