赤穂浪士 四十七士 AKO47
大石内蔵助良雄(おおいし くらのすけ よしたか)
国家老、1500石。討ち入りの指導者。享年45。
国家老、1500石。討ち入りの指導者。享年45。
AKO47総監督 兼 チームA(表門) リーダー
チームK(裏門) リーダー
原惣右衛門元辰(はら そうえもん もととき)
片岡源五右衛門高房(かたおか げんごえもん たかふさ)
堀部弥兵衛金丸(ほりべ やへえかなまる(あきざね))
前江戸留守居、前300石、隠居料20石。享年77。
足軽頭、300石。享年56。
チームA(表門) サブリーダー(参謀)
側用人・児小姓頭、350石。享年37。
チームA(表門)
前江戸留守居、前300石、隠居料20石。享年77。
チームA(表門)
チームK(裏門)
チームK(裏門) サブリーダー(軍師)
吉田沢右衛門兼貞(よしだ さわえもん かねさだ)
近松勘六行重(ちかまつ かんろく ゆきしげ)
間瀬久太夫正明(ませ きゅうだゆうまさあき)
間瀬孫九郎正辰(ませまごくろうまさとき)
部屋住み。蔵奉行吉田兼亮の長男。享年29。
チームA(表門)
馬廻、250石。享年34。
チームA(表門)
大目付、200石役料50石。享年63。
チームA(表門) サブリーダー
部屋住み。間瀬正明の長男。享年23。
赤埴源蔵重賢(あかばね げんぞう しげかた)
潮田又之丞高教(うしおだ またのじょう たかのり)
富森助右衛門正因(とみのもり すけえもん まさより)
不破数右衛門正種(ふわ かずえもん まさたね)
無禄。亡父物頭、200石 部屋住み。享年24。
馬廻、200石(譜代)。享年35。
チームK(裏門)
郡奉行、絵図奉行、200石。享年35。
義父・小山源五右衛門が脱退したため、妻・ゆうを離縁して参加。
槍先に首を掲げて進行したその人。
馬廻・使番、200石。享年34。
チームA(表門)
元馬廻・浜奉行、元100石。享年34。
チームK(裏門) 特技 剣術
実父は、浅野家浪人・岡野治太夫にして、不破家の娘婿になり家を継ぐ。
死体の試し切りを密告されて、内匠頭の怒りを買い、浪々の身になる。
生前、内匠頭が帰参させたやりたいとの気持ちがあり、討ち入りに参加。
十文字槍の使い手。
チームA(表門)
小野寺十内秀和(おのでら じゅうない ひでかず)
京都留守居番、150石役料70石。享年61。
チームK(裏門) サブリーダー(参謀)
チームA(表門) 特技 剣術
馬廻・絵図奉行、150石。享年46。
『赤城盟伝』に見事な「跋文(ばつぶん)」(漢文)を寄せている。
武具奉行・江戸定府、150石。享年57。
チームA(表門)
部屋住み。奥田孫大夫の養子。近松勘六の異母弟。享年26。
実父・近松小右衛門。母は後妻だったため、初めは母方の姓の仁尾小一郎と名乗っていた。孫太夫の娘婿になり、長男・清十郎が生まれ、討ち入りに際しては、母と弟に名刀「村正」を添えて行く末を頼む。清十郎は、討ち入りの赦免後に、仁尾を名乗って蜂須賀家に仕官した。(蜂須賀家と大石家は親戚関係)
馬廻、150石。事件の第一報を江戸から赤穂へ伝える。享年40。
チームA(表門)
馬廻・江戸定府、150石。享年29。
チームA(表門)
馬廻、150石。享年27。大石一族。
チームK(裏門) 特技 剣術(東軍流)
兄・孫四郎と盟約に加わるも、兄は途中で脱盟する。
内蔵助を助けた大石無人は、伯父にあたる。
物頭・側用人、150石。享年25。
チームK(裏門) 特技 能 鼓 書道
父・礒貝権衛門は、旗本・松平隼人正の家臣。父が堀部弥衛と懇意であったため推挙により内匠頭に小姓として仕官する。
勝手方吟味役、100石(別米4斗3升)。享年69。
父・左兵衛は、関ヶ原以来の浅野家の譜代の家臣。
討ち入りには、長男・十次郎、次男・新六郎で、唯一親子3人で討ち入った。
終始一貫して、内蔵助に従い、助けた。
部屋住み。間光延の長男。
吉良上野介に一番槍、その首級をあげた。享年26。
チームA(表門) 特技 剣術 槍術
剣は、堀内源太左兵衛に学び、堀部や奥田に次ぐ腕前。
槍は、藤堂藩の水沼久太夫に学び、達人の域に達していたと言う。
[ 間新六郎光風(はざま しんろくろう みつかぜ)]
[ 中村勘助正辰(なかむら かんすけ まさとき)]
千馬三郎兵衛光忠(せんば(ちば) さぶろべえ みつただ)
[ 菅谷半之丞政利(すがや はんのじょう まさとし)]
[ 村松喜兵衛秀直(むらまつ きへえ ひでなお)]
[ 村松三太夫高直(むらまつ さんだゆう たかなお)]
倉橋伝助武幸(くらはし でんすけたけゆき)
[ 岡嶋八十右衛門常樹(おかじま やそえもん つねしげ)]
矢頭右衛門七教兼(やとうえもしちのりかね)
[ 勝田新左衛門武尭(かつたしんざえもんたけたか)]
武林唯七隆重(たけばやし ただしち たかしげ)
前原伊助宗房(まえばら いすけ むねふさ)
金奉行・中小姓、10石3人扶持(二代)。享年40。
浪人。間光延の次男。享年24。
チームK(裏門) 特技 剣術
若い頃、浅野家舟奉行の里村津右衛門の養子になるが、養父とあわず縁組取りやめを願うとも、実父が認めず、姉の元に身を寄せていた。
馬回・祐筆、100石。享年46。
チームA(表門) 特技 槍術 書道
赤穂藩士・中村庄助の娘婿となって、中村家を継ぐ。
開城後は、内蔵助の代筆もしている。
馬廻・宗門改 100石。享年51。
チームK(裏門) 特技 槍術 礼法 手紙の書法
有職故実に長けていた
浅野家の同族千馬三郎兵衛の養子となって、千馬家を継ぐ。
チームK(裏門) 山鹿流免許皆伝
軍師参謀として内蔵助を助け、討ち入りの企画立案
趣味 釣り
得意な獲物 槍
扶持奉行・江戸定府、20石5人扶持。享年62。
チームA(表門) 算術が得意
浪士・村松三太夫高直の父。
特技 算術 俳句。
実父は、名字帯刀を許された江戸の町人・堀江久右衛門。
部屋住み。浪士・村松秀直の長男。享年27。
チームK(裏門) 剣術が得意
扶持奉行・中小姓、20石5人扶持。享年34。
チームK(裏門)
特技 狂言の物まね (お笑い担当)
父・武助の代に、浅野長友に仕える。伝助7歳の時に、父・武助なくな、倉橋家を継ぐ。内匠頭も9歳の時に、父を失い、同じ境遇から若年より近習の小姓として内匠頭に仕える。
チームA(表門)
金奉行・膳番元方・腰物方、20石5人扶持
(亡父200石 4歳の時の20石5人扶持相続)。
小野寺秀富の兄。小野寺十内は叔父。岡野金右衛門は従弟。享年32。
チームK(裏門) 一番乗り
部屋住み。享年18。
父長助ともに義盟に加わったが仇討ち決行前に父は病死した。
チームA(表門)
札座横目、15石3人扶持(譜代)。享年24。
チームA(表門) 特技 剣術
祖父・勝田新兵衛は笠間の郷士で、浅野長直にその腕前をかわれて召し抱えられたほどの剣の達人。新左衛門も剣を振るって戦った。
馬廻、15両3人扶持。享年32。
炭小屋に隠れていた吉良義央を討ち取り、一番太刀の栄誉を受けた。
チームA(表門)
二官の子が、渡辺姓を名乗り、浅野家に士官した。唯七は次男。
兄は、赤穂藩士・渡辺半右衛門、父母の病のため、弟だけの討ち入り参加。
金奉行・中小姓、10石3人扶持(二代)。享年40。
チームK(裏門) 特技 文筆
吉良邸近くで、安売りの米屋「五兵衛」を開いた情報を得ていた。
吉良家の小者とも、親しくなって諜報活動に従事した。
[ 貝賀弥左衛門友信(かいが やざえもん とものぶ)]
[ 杉野十平次次房(すぎの じゅうへいじ つぎふさ)]
札座横目、8両3人扶持(二代)。享年28。
中小姓・蔵奉行、10両3人扶持。吉田兼亮の弟。享年54。
チームA(表門)
札座横目、8両3人扶持(二代)。享年28。
チームK(裏門) 特技 剣術
突入時には、大槌を振るって裏門を打ち破った。
母方の萩原家は、藩中でも指折りの裕福な家であった、杉野家も経済的に潤っていたと言う。
神崎与五郎則休(かんざき よごろう のりやす)
徒目付、5両3人扶持。享年38。
徒目付、5両3人扶持。享年38。
チームA(表門)
[ 三村次郎左衛門包常(みむら じろうざえもん かねつね)]
横川勘平宗利(よこかわ かんべい むねとし)
[ 茅野和助常成(かやの わすけ つねなり)]
寺坂吉右衛門信行(てらさか きちえもん のぶゆき)
足軽、3両2分2人扶持。討ち入り時は38歳。享年83。
台所奉行・酒奉行、7石2人扶持。享年37。
チームK(裏門)
徒目付、5両3人扶持。享年37。
チームA(表門) 特技 弓術 短歌 俳句
作州津山城主・森美作守に仕えていたが、森家断絶により、浅野家に仕官する。(神崎、茅野と同一事情)
横目付、5両3人扶持。享年37。
チームK(裏門)
作州津山城主・森美作守に仕えていたが、森家断絶により、浅野家に仕官する。(神崎、横川と同一事情)
吉良家に出入りしている茶の湯師匠をしている盲目の住職の知己を得て、代筆などをして14日に茶会があることを知る。
足軽、3両2分2人扶持。討ち入り時は38歳。享年83。
チームO(特殊任務連絡) (特殊単独行動)