''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

池田のもみぢから見える物語より。

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先日、池田の逸翁美術館と駅の行き帰り、不思議なもみぢを見ましたね。
もみぢと言えば、人の手の形です。
しかし、何とも不思議なもみぢらしき様子です。
このお宅だけでなく、幾つかお宅で見かけましたね。

 

池田には、こうしたもみぢが自生しているのでしょうかね。
朱色のような、真っ赤なもみぢと違いながら、何と映える色合いです。
これも紅葉ですからね。

 

大阪では、何やらもみぢの天ぷらなるものが、名物になっているところもあると聞きます。
箕面でしたかね。
もみぢの名所です。
勝尾寺辺りが有名ですよね。
しかし、もみぢの天ぷらは見たことがあるだけで、食したことはありません。

 

もみぢと言えば、赤子の手ですね。
赤子の手と言えば、この時期、あれです。
赤穂浪士忠臣蔵です。

 

赤穂義士といいながら、1名除いて、切腹の沙汰です。
と言うことは、幕府に弓引いた謀反人として処罰されたことを意味します。
もちろん、武士としては主君の仇を討つという名誉の背負っていますので、預かった藩でも、厚遇しています。

 

しかし、幕府の沙汰は切腹という武士としての最後を与えます。
もちろん、助命するという林大学頭の説と、切腹させるという荻生徂徠の説と対峙します。
武士の名誉を重んじた結果、切腹の沙汰です。

 

これだけではいけません。
赤穂義士の子供にも、謀反人としてのとがが及びます。
遠島になるものもいました。
その先で、命を落とすという悲劇もありました。

 

張本人の頭・大石内蔵助の子供にも及びそうになります。
妻りくと山科で離縁した時に、この体内に子を宿していました。
これが後の大三郎です。
切腹の沙汰の折には、まだ、乳飲み子です。

 

折り良く、赤穂義士の子供らに許しが得られた後には、広島浅野本家の引き取られ、1500石大石家の元の家禄で禄を食みます。
この結末は、過去の記事でも紹介したように、いけませんね。

 

先代が偉大なら、後が続きません。
ましたや、この孫となるとなお更です。

 

親わらじ  子供雪駄に  孫裸足
こんな戯れ歌を思い出します。

 

いつも、先代が精進の上にも精進して、財をなし、物事を成功する。
その子供は、いつねに成功したことにイメージしているので、財を尽くす。
それを見た孫は、もっと輪をかけて財を食い尽くす。

 

三代して家を潰すことはよく有ります。
三代目が、物事のキーワードです。
源氏、足利、徳川と、三代目が幕府のキーマンになっていることが多いです。

 

食は三代とも言います。
食は、同じように、贅を尽くさないと本当の旨味を感じることが出来ないと言う意味のようです。
そんなことはありません。
美味いものは、自分の舌で探すものです。

 

値段の高価な食材が、美食でも、ご馳走でもありません。
旬を感じ、季節を感じ、食材をいじらず、そのままの持ち味を引き出す。
これが、旨味だと感じています。
貧家の住人のひがみかもしれませんね。

 

今日も心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
ありがとさんと感謝の気持ちを忘れません。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、不思議なもみぢの葉の話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。