''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

冬限定 ストロングゼロ 苺ダブル  より。

寒いです。
風が冷たいし、水が冷たく感じます。
冬だから仕方ないです。
そう分かっていても、寒いのが辛いと感じます。

今日は、朝の4時に目が覚めました。
これはいいと思って、4時半過ぎから自分の仕事をコツコツしやった次第です。
2時間半ほど、余分に仕事が出来たのは、朝からゲンがいいです。
朝は気分がいいです。
嫌な仕事もはかどる気配を感じます。

この時期、よく冬限定と文字を見かけます。
如何と思いながら、手にしてしまう私が居ます。
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先日も、サントリーの-196℃シリーズ、冬限定 ストロングゼロ 苺ダブルを頂きました。
苺の香りが何とも言えず、春をイメージさせてくれます。
呑み口もすっきりしています。
何故、冬限定なのか意味不明です。

とは言え、苺がダブルとは、何となくワクワクするのは、私だけでしょうかね。
私は苺好きです。
甘酸っぱい物が、顔に似合わず好きです。

私のブログは、今月は特別企画として、「赤穂浪士」をサブテーマに置いています。
ダブルと言えば、内蔵助のダブルの願いが、ありました。
松の廊下から発する喧嘩両成敗の吉良家の処分再考と、浅野家の再興(お取り立て)のダブルの願いです。

そんな無茶苦茶な願いが叶うはずもありません。
喧嘩をしている相手は、吉良家ではありません。
5万石の城主の一家老が、将軍家並びに江戸幕府に対して、真正面から喧嘩を売ったと言う事です。

一度お上が下したけ決断が覆ることはありません。
幕府の威信が崩れます。
即日切腹された上、お家取りつぶしの大名家に、再興はありえません。

そんな中、吉良家討ち入りと言う強硬手段によって、主君の仇打ちと言う意味に置いて、武士の本分が立ったのです。
それにより、無理だと思われていたダブルの案件が、成立出来たと言う事になります。
しかし、内蔵助はすでにこの世に居りません。
それを承知で、喧嘩を吹っ掛けたということでしょう。

この難問に、幕府の中が二分した結果になったとも言えます。
それが、赤穂義士の助命嘆願か、切腹かの分かれ目です。
もちろん、切腹の腹は決まっています。
庶民も武家も、民衆を味方に付けて、ダブルの願いです。

一つ目の願いは、元禄16年2月4日、46人の切腹の日に、名門・吉良家が断絶の沙汰です。
その当主・吉良 義周(通称 左兵衛)は、諏訪安芸守にお預けの沙汰が出されました。

その流罪の先で、 宝永3年1月20日(1706年3月4日))に病没して息絶えます。
これで吉良家の正当な血筋も絶えた事になります。
右大将様以来の喧嘩両成敗の御法度が、ここに完結です。

次の願いも、六代将軍・家宣の就任により、天下の悪法「生類憐みの令」が廃止して、新井白石による新しい政治主導から始まりました。
義士の遺児たちに対する赦免、次いで宝永7年(1710)浅野大学に房州にて、500石の領地と再び旗本寄合衆に列せられました。
ここに浅野家の再興が叶った瞬間ですね。

アンビリーバブルな出来事と言って良いです。
内蔵助の願いは、しっかりと現実になったと言えます。
ダブルの願いとは、やはり策を弄しただけのことはあります。
この内蔵助の秘策が、後世300年が過ぎても、称賛されることなのかもしれません。

大きなことは出来ません。
小さなことしか出来ません。
一つ一つの積み重ねが、大きな力になることもあります。
コツコツやることの大切さも感じますね。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたいことに、私はその仏縁を得たと、感謝しております。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それを願うばかりです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事でありますようにと念じます。

最後まで、冬限定の秘策たっぷりのダブルの味わいの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。