''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

大晦日、やはり年越しのそばと燗酒より。

今年も31日となりました。
この一年ありがたいと感じた一年の終いの日です。

 

私事ですが、激変の一年でした。
生活のパターンも大きく変化した一年でした。
社会に政治に経済にと、それをモロに感じた一年でもありました。

 

それでも、何とかこの大晦日を迎えることが出来ました。
ありがたいことです。
今日が仕事納めです。
そして、明日が仕事始めです。

 

季節感というか、世間様とは隔離された感覚を覚えます。
大掃除も済んでいません。
正月の用意もしていません。
こんな年もあるんですね。
正直、初めてかもしれません。

 

そうは、言っても人並みに正月の気分も味わいたいです。
もちろん、今宵の大晦日もです。
家に帰宅して、風呂に入って、コタツに座った頃に、紅白も終盤のホタルの光でしょうかね。
おおとり位は見てみたいです。
録画予約をしていますので、正月休みに見るとしましょう。
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それでも、年越しそばは毎年頂いています。
そして、熱燗です。
これが何よりのご馳走です。
(写真は、少し前の休日で頂いた鳥なんです。)
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家の近くにお寺があります。
ここの鐘の音が、除夜の鐘の音ということになります。
ここで一首です。

 

 「大晦日 除夜の鐘の音 近きこと 年越しのそば 年越しの酒」

 

今年の健康と無事に感謝します。
ありがとさんです。

 

年越しのそばというと、昔からの習慣と感じますが、物の本で読むと、明治になってからですね。
それまでは、年越しの麦を食していたようです。
そばも、取れる地方では、家で打って作りますが、作付けしていない地方もあります。

 

打つと言えば、今年最後のあれです。
ご存知、赤穂浪士忠臣蔵ですね。

 

よくぞ、1ヶ月も引っ張りましたね。
我ながら、感慨深いです。
やはり、生まれが赤穂と同じ、播州人です。
多くの方に、いいも悪いも、この事件というのが風化しないように、書き記したいです。

 

播州では、以外にも温暖な気候で、温厚な土地からです。
肥沃な大地がそこにあります。
ですから、うどんの小麦を食します。
うどん、そばなら、うどんが好まれる土地です。
一応、関西圏ですからね。

 

でも私は子供の頃から、そばが好きでしたね。
そばと言うと、江戸をイメージしましたね。
時代劇でも、長寿庵など、そば屋のイメージです。
大人のイメージです。
そして、そこでは「熱燗」というキーワードもありますからね。

 

大人、イコール、そばと熱燗です。
落語にも「時そば」なんかも、大人のイメージです。
江戸時代には、年越しのそばは、江戸ではあったかもしれませんね。
言葉としては、年越しのむぎですけどね。

 

吉良家討ち入りの功名を上げた46人は、4つの藩に分かれてお預けです。
内蔵助殿も、どんな思い出、この大晦日を迎えられたことでしょう。

 

もろちん、罪科の罪人としての位置ですか、江戸にも、日本中にも名の知れる武士の英雄です。
もしかしたら、除夜の鐘の音聞きながら、年越しのそばと熱燗ぐらいは出たかもしれませんね。

 

正月の膳は、ささやかながら用意されていたように思えます。
もちろん、すこしの酒はあったと考えられます。
今生最後の大晦日、正月ですからね。
どんな思い出、この2日を過ごされたことでしょうね。

 

その気持ちを推し量ることは、なかなか容易ではありません。
安殿気持ちがあったことは確かです。
しかし、助命されることは考えてはいません。
討ち入り後、泉岳寺浅野内匠頭の墓前で、全員で切腹はしていません。

 

内蔵助の最後の問いかけです。
幕府に対する問いかけです。
どうする幕府?

 

武士の忠義という錦の御旗と、理不尽な片手落ちの喧嘩両成敗、ご政道を幕府に投げかけたと言えます。
どこまでが、正義なのかという、問い直しです。
吉良家の処分にて、喧嘩両成敗の大儀名分を、世に知らしめたわけです。

 

筋を通したところに、内蔵助殿の忠義があったのかもしれません。
後に、浅野大学も500石の旗本して、お家再興が適います。
これこそ、最高の気分でしたでしょうね。
(ここは、笑うところです。ねぇー、とおるちゃん!!)
5万3000石が、500石なら、100分の1ですからね。

 

浅野大学については、あまり多くが語られていません。
どんな思い出、預けられた浅野本家で、大晦日の除夜の音を聞いたことでしょうね。
もちろん、吉良討ち入りは、本家から知らされていたことでしょう。
47人に手を合わせたことでしょうか、それとも当然と思われたことでしょうかね。
主の資質を問われる場面です。

 

108つの除夜の音と、それらの煩悩が、一つ一つ消え去りますように、祈るばかりです。
この一年も、心の三毒を廃し、心穏やかに安穏に暮らすように努めてきました。
ありがたいと感謝します。

 

今年も来年も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、そばが伸びそうな長い話にお付き合い下さいまして、お礼申し上げます。