''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

「矛」と「盾」とを含む物語より。

朝方、雨が降ったようです。
玄関の前が雨で濡れています。
どうりで、首と肩が痛いはずです。

湿気によって、敏感に天候を捉えます。
リュウマチや神経痛の病気には、患部にこうした違和感を感じるものです。

違和感というと、すぐにはそこには行きませんよ。
先日、仕事場の方からパンを頂きました。
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マヨネーズパンとアンパンです。
二つ並べて盛り付けました。
何とも治まりがいいですね。

このパンの形を見て、中国の故事を思い出しましたね。
「矛盾」です。
中国・楚の国の話です。
四面楚歌のあの楚の国ですね。

武器商人のが、最強の「矛」(槍のような武器)と最強の「盾」(槍などを受ける防御の武器)を売っています。
じゃ、それらの「矛」で「盾」を突けばどうなるのかと、素朴な質問をしたところ、武器商人は答えることが出来なかった。
つまり、それこそが、「矛盾」の語源です。

この場合、最強一番は、二つ両立しないわけです。
矛盾と言えば、この時期あれです。
ご存知、赤穂浪士忠臣蔵です。

時の将軍、綱吉公は、赤穂浪士の討ち入りを聞いて、「あっぱれ、まことに武士の鑑(かがみ)」と賞賛したと聞きます。
「えー?」
もともとの話の出発は、将軍さま、貴方ですよ。

赤穂5万3千石の、仮にも城主を、取り調べもせずに、即日切腹、それも庭先で切腹など聞いたことがありません。
朝廷より、従五位下の官位を賜った大名です。

あまりにも、簡単な仕置きですね。
喧嘩両成敗というなら、吉良家も切腹取り潰しが、右大将(頼朝公)よりの武家のしきたりです。

人よりも犬の方が、立場が上という、生類哀れみの沙汰が社会を困らせています。
矛盾だらけの政治です。
これで国が治まるはずがありません。
社会は、取り潰された藩の浪人で溢れています。

社会の治安も悪いです。
街中に人切り庖丁を付けた怪しい浪人が悪さをします。
そんな中、赤穂浪士は、主君の仇を討ったというのです。
珍しいいい話です。

江戸の町は、赤穂浪士の話で持ちきりです。
討ち入りまでは、腰抜けとか、赤穂でのうて、阿呆浪人とか言っていた庶民が、一転赤穂贔屓です。

町人だけでなく、大名を始めてとする武士も、同情的な雰囲気です。
もちろん、吉良の関係者や血筋、縁戚は、赤穂浪士は忠義にあらずといいます。
それも言い分です。
しかし、難事を成し遂げたと言うことは、凄いですね。

こうなると「赤穂浪士」助命活動に向かいます。
多くが、林大学頭を始め、助命する方向に行きそうになります。
しかし、荻生徂徠は、筋を通します。
武士道とは何か、忠義とは何か、根本に照らし合わせます。

世間を騒がせたのも事実です。
幕府に弓引いたのも事実です。
幕府に異議を唱えたという点では、まさしく直訴と言えますね。
直訴は、ご法度です。

死があるのは、当然です。
しかし、浪人となれば、士分ではありません。
町奉行の町方支配です。

そこは、武士の鑑として、細川を始め雄藩に預けます。
浪人ではなく、武士として、武士のままの扱いとして、切腹を賜る。
面目が立ったと言うわけです。

しかし、それも矛盾ですね。
生きてこそでなく、死んでこそ、「武士道とは、死ぬことと見つけたり」という、葉隠の一節を思い出します。
それも矛盾です。

この世の中、矛盾だらけです。
人はいつか死にます。
間違いない事実です。
生きるととは、毎日、死に近づいていると言うことです。

生きるとは、常に罪を犯しています。
生きるために、モノの命を奪い、争いながら生きます。

この世は、仮の空(くう)です。
この世の苦しみも傷みもすべて「空」です。
それにしては、肩と首の痛みは、予想以上に傷みます。
これも「空」にしては、辛いですね。

仏の世界に住している以上、仏の道理に反しては存在しないわけですね。
いい縁を結び、悪い縁を断ち切る。
これこそが、現世の修行です。

心の三毒を廃し、心静に安穏に暮らすということこそが、幸せです。
物にこだわらす、形にこだわらず、一切の欲を断ち切るところに、心の平穏があります。
それも自問自答する自分がいることも事実です。

生まれてくる時には、何も持たず、さすれば、死に行く時も、何も持ってはいけません。
「空」の中を輪廻しているわけです。
生きるとは、矛盾の積み重ねであるとも言えますね。

生きるとは、感謝することを見つけることと、知りましたね。
生きるのでなく、生かさせてもらっています。
ありがたいことです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、矛盾だらけの話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。