''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

出雲路橋より、正面に、比叡山が見えます より。

先日、鞍馬口辺りに行った時の事です。
賀茂川出雲路橋辺りの公園で、暫し休息です。
広い賀茂川沿いに、ベンチが多々有り、市民の憩いの場所になっています。

 

賀茂川と聞いて、間違っいると思われる方もいるはずです。
その方は、鴨川と言いたいのでしょうね。
でも、鞍馬口通出雲路橋に流れるのは、鴨川ではなく賀茂川です。
出町柳で、高野川と賀茂川が合了して、鴨川と名前を変えます。
イメージ 1

鞍馬口通りは、出町柳より上にあります。
正面に見えるのが、比叡山です。
そこに灯るは、比叡の峰あかりです。

 

五条辺りの句碑に、「鴨川に立ちて比叡の峰あかり」の句が口から出ます。

 

ここでは、賀茂川に、なります。
峰あかりと言葉が、何とも温かいですね。

 

私の今月のサブテーマは、「赤穂浪士」です。
京都の比叡山は、都の鬼門の方角にあります。
その守りの為に、比叡山があります。

 

江戸にも、江戸の鬼門に、東の比叡山があります。
東叡山寛永寺です。
因みに西の比叡山は、圓教寺です。
映画『ラストサムライ』が、ここで撮影されたロケ地です。
播州にある有名な寺院です。

 

比叡山と言われる寺院が、播州、京、江戸にある訳です。
東叡山寛永寺と言えば、3代将軍家光が、天海に帰依し、ここで葬儀が行われています。
家康、秀忠の葬儀は、芝増上寺で行われています。

 

4代家綱、5代綱吉の廟は寛永寺のある上野に営まれ、ここに芝増上寺と上野寛永寺が、徳川墓所となり、6代以降は交互に廟に祀られているという事になっているようです。

 

寛永寺貫主は、3代目以降代々宮家の「輪王寺宮」と尊称され、東叡山、日光山、比叡山を管理して、原則として天台座主を兼ねる壮大な権力を持っておられたと聞きます。

 

赤穂浪士の討ち入り後、将軍綱吉は、輪王寺宮公弁法親王にナゾをかけられた。
赤穂浪士の助命をしたいが、それではご政道がなりたたず、如何したものかと思い悩んでいる次第である」と言われた。
つかさず、宮様が、それに賛同して、助命されれば、ではそうしようと言葉を添えられたはずです。
しかし、暫しの沈黙の後に、「ご苦労のほど、お察し致します」と返事したと言います。

 

宮様は、ナゾかけられた将軍家の意向を、そのままお答えしたなかった。
ここで、助命して、それが仇となることを憂いたと言われます。
江戸では、大人気の赤穂義士ですが、若い者も多い。
急に人気物なったが為に、人の道を踏み外すことは多いです。

 

アイドルで有名になったと言って、何か芸がある訳でもないのに、勘違いしたビックマウスのアイドルがよくいます。

 

♪ハッとして  グッときて  パッと目目覚める~

 

目が覚めるのが、遅すぎますよ。
最近、よく見かけます。
あるテレビをきっかけにしてからですね。
何が嬉しいのか、少し目障りです。

 

皆の見たかったのは、アイドル時代の姿でしょうね。
今や、youtubeなどで見ることも出来ますから、そちらで楽しめばいいと思います。

 

ああなっては、赤穂浪士も、現在までその名前は残っていません。
武士として名誉死に様に、名前が後世に残ったと言えます。
荻生徂徠の「私」でなく、「公」を捉えた滅私奉公の姿がそこにあります。
忠や義も、そこにあるように思えます、

 

私利私欲がなかったが故に、後世までそのエッセンスが、日本人を惹きつける魅力があると言えます。
それに、分かり易い勧善懲悪の姿も、日本人の好きな所ですね。

 

今回の総選挙、滅私奉公の名義大義を掲げた代議士の先生方も、本当にその意思を守り続けて欲しいです。

 

日々の暮らしの中で、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁と感謝しています。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、ひえぃひえぃの寒い話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。