''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

いざ討ち入りに、携帯されてたいグッズ より。 

お題「ささやかな幸せ」

極月半ばの14日、いよいよ今夜討ち入りです。 

すでに300年以上前の出来事です。 

昭和の世では、12月に入ると、何か赤穂浪士忠臣蔵のドラマや映画が、放送されていましたね。 

 

令和になって忠臣蔵って言われても若い方は酒屋の酒蔵の話かと思われるかもしれません 

播州人にとっては、赤穂浪士は身近な存在です。 

兵庫の中南部、社(やしろ)町という町があります。 

ここは、赤穂の加東郡領地があった場所です。 

街中でも赤穂浪士の幟を見たことがあります。 

 

赤穂と龍野(脇坂家)相生(刃傷事件のあった元禄14年浅野家の後、永井家、森家と藩主が変わります)と市街地に繋がりもありますからね。 

播州と言う土地柄、赤穂浪士の話が大好きな所ですね。 

 

私も、子供の頃に、父に赤穂城に連れて行った貰ったことがありましたね。 

それほど意識はしなかったですが、12月の時代劇と言えば、これは外せませんからね。 

 

いよいよ、47人の義士が打ち入ります。 

歌舞伎でも、いろいろな芝居がありますね。 

歌舞伎の演目『松浦の太鼓』は、討ち入りを違う角度からに演じた演目ですよね。 

この演目を聞くと、中村吉右衛門さんを思い出します。 

鬼平犯科帳で、長く続いて鬼平です。 

 

『松浦の太鼓』の松浦侯のモデルとなった実在の松浦侯・肥前平戸藩6万3000石の藩主松浦鎮信だと言う事ですが吉良家の隣は本多孫太郎(長員)と言う越前福井藩の2万石の家老屋敷であつて、どういうわけでそうなったのかは不明です。

本多孫太郎長員 

ただ、本多孫太郎(長員)は、本多内蔵助家の3代当主です。 

何か因縁深いモノを感じます。 

もちろん、吉良家討ち入り容認派です。 

 

今では、見かけなくなった携帯電話のストラップですね。 

嫁のコレクションのキティちゃんの赤穂浪士バージョンです。 

鈴が付いていますので、携帯電話の紛失には、一定の効果があります。 

 

今時のスマホから、画面を傷つける可能性がありますから、敬遠されそうです。 

私のスマホのケースも、手帳式ではありません。 

後ろに、リング付きのケースを付けています。 

リングは、ある程度あると便利です。 

スマホの落下防止になります。 

 

備えあれば憂いなしです。 

赤穂浪士の討ち入りには、打ち壊し用の掛矢(カケヤ)大工道具も用意してあります。 

灯りも、用意してあります。 

切られないように、楔帷子も用意して、準備は万全です。 

褌にも、ハリガネ入れて、いざという時に、備えていると聞きます。 

 

そら、吉良の屋敷に打ち入るからには、梯子などの用意から、持てる道具は用意してあります。 

近くには、赤穂家支援の医師が待機しています。 

打ち入ったのは、47人ですが、案内役や後方支援の方の強力があっての討ち入り成功です。 

 

やはり、成功には、しっかりとした計画が大事です。 

子が大事なのは、落語「幽霊飴」の高台寺さんですよ。 

討ち入りに成功して、黄泉に旅立つのと、無念の内に黄泉に旅立つのでは、武士にあっても大きな違いです。 

三途の川の渡し賃6文銭だけでなく、もし殺された時の後始末の金を、懐に準備しています。 

落語「幽霊飴」では、飴賃は、6回だけだった幽霊さんも無念だったのかも知れません。 

その無念が、墓地に飴屋呼び寄せて、乳飲み子を救ったのも、母の得んかもしれませんね。 

 

いよいよ、今夜打ち入ります。 

どうぞ、お連れ下さい。子葉殿。 

しようがないとオチが付きそうです。(ちゃんりんちゃんりん でんでん) 

 

親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。               

ありがたいことです。             

             

ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。               

ありがたいことです。               

               

日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。               

神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。               

ありがたいと感謝です。               

               

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