''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

京橋で、忘年会でした。

昨日の日曜日は、午後から雨降る京橋でした。
京都では、天気が良かったのに、少し離れるだけで、天候の違いに驚きましたね。
年の瀬です。
今年もお世話になった方と忘年会をしました。

場所は、私の愛すべき「京橋」です。
♪京橋は ええとこだっせ~

こてこての深夜のCMが子供の頃から、耳を離れなかった大人の街・京橋です。
一杯呑み屋も立ち並ぶ、そんな庶民の町です。
子供の頃、その頃の郷里の駅前風景に似ています。

焼肉の香りと、おでんの出汁の香り、串カツの油の香り、そして、カレーの香りです。
もちろん、お色気の香りもプンプンしています。
雑踏の中で、人は何を思うんでしょうね。
好きな街の一つです。

近くの天満も大好きな街の一つです。
将来、隠居暮らしするなら、京橋か天満と夢見ています。
昼間から、風呂屋にでも行って、その帰りに立ち呑みで一杯引っ掛ける。
至福の隠居暮らしでしょうね。

そんな愛すべき京橋のコムズ京橋にある「がんこ」が忘年会の場所です。
ここに決めたのは、やはり、「てっちり」、つまり「ふぐ」が目的です。
フェアをやっていて、通常2380円(税別)のてっちりが、一人前1980円(税別)で食べられます。

安いです。
吉朝さんの落語「ふぐ鍋」の枕に使われるようなふぐではないかと、少し心配しました。
それも、とらふぐです。
先日家で食べたのは、トラではありません。
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なかなかのボリュームです。
もちろん、これで二人前です。
新鮮なとらふぐに、納得です。
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もちろん、これには、ひれ酒です。
香ばしい香りと味です。
アルコールはライターで火を点けて飛ばしてくれます。
飛ばしてくれなくてもいいのにね。

美味いです。
至福です。
生きていることに乾杯という位です。
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これに、私の大好物、ふぐの唐揚げ(980円税別)を頼みましたね。
うまーい。
ふぐの中では、一番の好物かもしれません。

てっちりとも美味かったですね。
これで、一人前2000円くらいなら、何か始末して、月一で食べたいくらいです。
黙ったままの忘年会です。
ふぐとカニは、静かな忘年会にはぴったりです。

鍋も煮え立ちと、こっちこっちとトンスイに取ってくれます。
白菜も豆腐も、ふぐの出汁で美味いです。
もちろん、後雑炊にも380円(税別)で雑炊にしてくれます。
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すこしサラサラ気味の雑炊です。
こちらには、岩塩で味を調えるように、セットで持って来てくれます。
雑炊用の白菜の漬物が小皿で付きます。
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なかなか旨味のある塩でした。
しかし、私の好みはポン酢を雑炊に少しかけて頂くのが、好みです。
ふぐの味が濃いですね。
やはり、とらふぐですからね。

この他に、刺身の盛り合わせ(980円税別)やら、継ぎ酒(400円税別)から、ふぐ皮の湯引き(480円税別)も頼みましたよ。
ふぐ皮の湯引き、なかなかのボリュームです。
味も美味しかったですね。

どうしても、ふぐが食べたいなら、このふぐの湯引きと熱燗でもいいですね。
食感がいいです。
味もしっかりしたふぐの味ですね。

これだけ食べて、二人分合わせて、8500円程なら、満足感はプライスレスです。
少し何かを始末しても、月一で食べてみたいと気分です。
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満足、「ザ・完食」です。
満足感が伝わると言いですけどね。

どこのがんこでも、同じような値段設定だと思います。
京都にもあります。

初めから、セットなら3980円からあるようです。
今回は、セットにせずに、いろんなものを少しずつ注文したのが良かったです。
昼ごはんには、こちらの方がだいぶとリーズナブルで頂けます。

今日もお決まりの話に持って行きます。
忘年、ぼうねん、亡念と言えば、この時期、あれです。
赤穂浪士忠臣蔵です。

亡き浅野内匠頭の憾みを晴らす一念だけで、討ち入りを行った訳です。
討ち入りのした47人の半数は、最近新規採用された方や軽禄の方が目立ちます。
先祖伝来の忠臣でなかったと言うのが不思議です。
平素、200石以上の高禄で奉公していた方々は、どうして討ち入りに参加されなかったのでしょうね。

1000石の奥野将監殿などは、城代家老の650石(700石とも)の大野九郎兵衛殿などは、参加されていません。
大野殿も一目散に赤穂を出られた方のようですね。
大野氏は、不忠義の代名詞として、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』でも、大野と言えば悪役「斧九太夫」としてその名が刻まれます。

しかし、京都仁和寺近くで寺子屋をされてたようで、「伴閑西(ばんかんさい)」という変名を使われていました。
元禄16年4月6日、衰弱死として、一人孤独死の運命が待っていたようです。
同じような死に際なら、討ち入りに名を連ねた方が、幸せだったのかもしれません。

醍醐蒐端氏の『赤穂義士の戸籍調』(大正8年)、『赤穂不義士の戸籍調べ』(大正9年)と
義士だけでなく、不義士にも注目がされていたようです。

人によっては、大石が第一陣の討ち入り、失敗に備えて、奥野将監が第二陣の討ち入りの準備をしていたという伝承もありますが、それはやはり考えにくいですね。
しかし、奥野将監の墓には、意味深な言葉が刻まれています。

赤穂義士、不義士の中にも、忘れることの出来ない亡念として、その生涯に大きな影響を与えたと言えます。
何がいいのか悪いのか、分りません。
しかし、自分の道を信じて行動する。

これが言いようです。
家族の為に、討ち入りに参加しなかった者も居るはずです。
それも、正義です。

私もありがたい仏縁を頂けた事に感謝して、この道を歩んでまいります。
この道の先には、長安に通じているはずです。
今日も道しるべを記すために、ブログを書きます。

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、この一年を忘れるような話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申しあけます。