''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

はしご酒にて、二次会に進みます。

てっちりの忘年会を1時間半ほどで終了しました。
雨は小雨の状態ですが、店を出て頃には止んでましたね。
それでも、寒い日曜の午後でした。

少し長椅子にでも腰掛けて、お茶の時間を過ごしました。
最近は、いろんなスタイルの時間を過ごすことが出来ます。
たとえば、1時間程なら、ネットカフェーなどの利用も面白いですね。
温かいドリンク、飲み放題、雑誌も漫画も、読み放題、中にはシャワーも完備のお店もあります。

一人ぷらっと来て、自分の時間を過ごすのも悪くはありません。
昔は貧家にネット環境が無かった時は、時々利用していましたね。
最近では、なかなか来ていません。

ネット難民という言葉がありますが、深夜ならナイトパックというのがあって、2000円までの料金で宿泊することも出来ます。
忘年会で電車の最終に乗り遅れた時には、利用するのも手です。
シャワーに、髭剃りにと、明日の仕事にも対応出来ます。

1時間もお茶すると、何だか時間もまだ3時半頃です。
このまま帰宅するのも残念です。
京橋といえば、立ち飲みに、一杯呑み屋のイメージです。
では、忘年会の二次会にと、はしご酒に向かいます。

「おのおの方・・」
と言っても二人です。

私のよく来る「まんぞく屋」です。
天満の近くにもあります。
京橋店の方が、相性はいいみたいです。
玄関に「ごはんものありません」の看板です。

昼から開いています。
しかし、ご飯ものはありません。
それでも、お客でいっぱいです。

平気で平日も、昼から酒盛りされています。
あれー、サラリーマンのご様子の方も多いです。
主婦も多いですね。

いつものようにカウンターに付きました。
まずは、飲み物の注文です。
「瓶ビール」を頼んで、待っている間に、肴を頼みます。
ご飯は済ませていますので、おつまみ程度の肴です。
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同行カメラマンのカメラマンが、すかさず注文です。
「クジラのベーコン!!」(300円)
なかなかの通ですね。
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私はやはりおでん盛りです。
厚揚げ、たまご、ごほ天、牛すじと定番です。
すべて80円という値段です。(安いよ。筋すじは、2本で80円です)

もちろん、ビール合う様な肴を頼んでいます。
天ぷらもここは安くて美味いです。
一串、50円と80円の組み合わせです。
もとろん、1本からオーダー出来ます。

ビールとも合います。
牛すじの煮込みは私の大好物です。
ここまで来ると、熱燗(380円)が欲しくなります。
肴もあれです。
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鯨の造り(300円)です。
鯨好きのようです。

今では貴重な鯨です。
捕鯨についても、世界に対してもっと強く意見を述べるべきです。
そんなに目くじら立てるようなことではありません。
日本の有史以前から、鯨を食して来ました。

子供の頃の給食にも、ノルウェー風唐揚げや竜田揚げといい、出ていましたからね。
独特の食感に、懐かしいさも覚えます。

鯨と言えば、やはり潮吹きます。
潮、塩、塩と言えば、この時期あれです。
赤穂浪士忠臣蔵です。

事件の発端に帰る必要があります。
松の廊下で、浅野内匠頭が、吉良上野介殿に刃傷に及んだ。
これに以上に目くじらを立てたのは、将軍さまです。
その怒りに触れて、即日、庭先での切腹です。

何が「遺恨」であったのか、ゆっくりと時間をかけて問い質していけば、事件も大きくならなかったはずです。
そこに、最大の誤りがありましたね。
喧嘩なのか、乱心なのか、はっきりしたはずです。

どちらにして、まず吉良の家臣が、浅野邸に討ち入りに行くのが、本来の筋です。
殿様に切りつけたというのですか、家臣としては黙っていられません。
もしかしたら、話は反対になっていのかもしれませんね。

浅野の殿様が、吉良殿に一方的に切りつけて、それで家にまで、討ち入りされては、話の辻褄が合いません。
なるほどです。
ですから、忠義の話ではない、つまり、義士ではなかったという意見もあります。

即日切腹でなければ、吉良の浅野への討ち入りもあったというのも、可能性としてはあります。
上杉の手の助成なら、出来るはずです。
上杉も武門の家柄です。
大義名分もあります。

しかし、歴史はそうさせなかった。
よくよく考えると不思議な話が、赤穂事件なのです。

世の中には、不思議ことが多いです。
リンゴが落ちるのを見て、ニュートンは、万有引力の法則を得ました。
これも、仏の世界では、当然の出来事です。
仏の中に住している以上、すべて仏の世界でしたか存在しません。

何故、吉良殿が殺される憂目にあったのかは、前世のご縁かもしれません。
47人とそれらに関わった人の縁が、どこかの前世で複雑に絡んでいたように感じます。
忠義という名の命題に、本来の筋を考える隙間すらなかったと言えますね。

何ゆえに殺されたのか、幾度かの輪廻の中で、その吉良殿の魂が、誰かの体の中で、今も生きているかもしれません。
浅野殿の魂も、然りです。
大石殿の魂も、同様です。

輪廻の中で、現在の姿は、仮の姿と言えます。
この世の中も、仮の空ですからね。
自分の筋を貫いたという点では、大石殿に軍配が上がったようにも感じます。

静な時代に生まれて、ありがたい仏縁に感謝です。
自分の道を信じて、このまま長安に通じていうと信じて、歩みを進めます。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、目じりの上がった話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。