''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

辛子明太子パスタ オン・ザ・野沢菜より。

昨日も雨日和でしたね。
今日も朝まで降っていましたが、今では日差しも少し見えています。
午前中に、いつもの病院のマッサージを受けて来ました。

湿度の高いため、首センサー・クビダス(かんとうしょうえの造語)が高い確率を示しています。
首と肩が、痛いんですね。
去年くらいなら、温かくなってからは痛んだことがないのですが、今年は痛みが続いています。
体力の衰え、加齢の性でしょうかね。

若い時、首や肩が痛むという感覚が分らなかったです。
いやはや、辛いものです。
腰などに痛みを持っておられる方なら、さぞ辛いでしょうね。
なってみないと分らないことが多いです。

10人10色の悩みがあるものです。
常に痛いですね。
寝ている時も痛みを感じることもあります。

辛い(つらい)言えば、同じ字で辛い(からい)とも読めます。
幸福の幸の字から、一本抜いたのが、辛い(つらい)という字ですね。
何か、からいやつらいには、こうした幸に隠された意味合いが有るのでしようかね。
白川 静氏の『字訓』や『字統』でも、次回学校の図書館に行ったときでも、調べて見たくなりましたね。

白川静氏と言えば、甲骨文字の大家ですね。
漢字という成り立ちを独自の理論から、解明して来た偉人です。
先生曰く、まず自分で書いてみること、つまり実践してみることにあると言われていたのを思い出します。
常に東洋にその主軸に置かれた方です。

甲骨文字をはじめとする漢字の成り立ちには、宗教的、呪術的なものが背景にあったと説明されています。
殷周時代の独特な感覚は、少し残忍な感じを受けるのも確かです。
青銅器にかかれた古い文字には、宗教や呪術の要素を感じるのも、納得できると思っています。

占いの「占」という字には、神との神託を受ける形が、字の成り立ちと関係するという話をだいぶ前に、NHKのアーイブスの特集『あの人に会いたい』で見ました。
今で言うなら、神からのメールかも知れません。

至言として「一歩ずつ運べば 山でも移せる」は、大変重い言葉です。
心を豊かにして下さる金言かもしれません。
それを口だけでなく、生涯通じて実践された偉人でもあります。

言うは易い、やるは難しいです。
言うのは三歳の子供でも言えるが、それをやるのは八十歳の翁と言えども難しいです。
白楽天と道林和尚の会話を思い出します。

この下りは、↑の過去の記事白楽天山の話で書いています。
7月に入ると京都では、祇園祭一色になります。
悪いことをせずに、いい行いをする。
簡単なようで難しいです。

一歩ずつでも歩めば、長安に到達しますよね。
日々の暮らしの中で、実践していかないといけません。

昨日は、日曜日でした。
家で昼餉にパスタを作りました。
イメージ 1

辛子明太子のパスタです。
1.4mmの細いパスタです。
パスタが少しピンクに染まっています。
明太子より、辛子明太子のパスタの方が、この時期食欲がそそります。

色合いも青味があった方が、美味そうに感じるので、パスタの天に刻んだ野沢菜をトッピン具です。
これがアクセントなります。
細いパスタの食感と辛子明太子の辛味とプチプチ感、そして、野沢菜の塩分の効いた歯ごたえの絶妙な加減は良かったですね。

美味かったです。
自画自賛です。
我ながら大成功でしたね。
また作ってみたくなりました。

ここでやっと、辛い(からい)と辛い(つらい)の「辛」の字に話が到着しました。
長い横道の話が続きました。
明日もこの辛いと言う字に関係する記事の予定です。

「つらいの~」、「耐えーよ」と言えば、横山たかしさんですよね。
赤いハンカチがトレードマークですね。
仏のように悟った達観したお言葉です。
この世は辛いことばかりです。
嫌なことも多いです。

それらも、妙法華経の一節「柔和忍辱(にゅうわにんにく)」の衣を着て、耐えないといけません。
辛いことです。
心の三毒を廃し、心静かに暮らすことを祈ります。

白川静氏と言えば、まさしく学者として非難されることも省みず、自分の道を突き進んだ方です。
やはり偉人です。

パスタのように絡んだありがたい仏縁が、いろんな人生の縁と絡みます。
人生を大きく影響する縁が、日常にもあります。
それを拾うか拾わないかです。

私は、ありがたい仏縁に引かれ、感謝しております。
ありがたいです。
道は近きにありです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、手を合わせます。

最後まで、辛いに繋がるパスタのような長い話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。