''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

鯖の煮付けを食らうより。

暑いですね。
今日は朝から、むしむしした暑さです。
朝から、トマトの水遣り、玄関の打ち水、水を使った作業です。

玄関から、裏庭まで風が通ります。
これは長屋の良さですね。
暑い京都にあって、先人の知恵に驚くばかりです。

昨晩の晩酌にと、いい鯖があったので、これを買って来て、煮付けにしました。
この年になると、煮魚も美味いと感じます。
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この後、お決まりの一味をフリフリします。
唐辛子の辛さが、食欲を刺激して、発泡酒や日本酒も進むと言うものです。

脂も乗っています。
臭み取りにショウガのスライスとネギを入れました。

もう少し、甘みを聞かせても良かったかもしれません。
鯖には、甘辛いの濃い味付けが、私の好みのようです。
すこしあっさりさせ過ぎました。

これに冷奴です。
もちろん、すりおろしたショウガも、これでもかと乗せています。
体も温める作用があります。

こんな夏場にと思いますが、外では意外にエアコンがきついです。
それに家でも扇風機で、意外に体も冷えます。
そんな時、このショウガがいい働きをしてくれていると信じています。

信じる者こそ、救われるです。
神様みたいですね。

そうです。
ショウガは、神様です。
ジンジャーと言うくらいですからね。
(今日は、ここしか笑うとこないですよ。ねぇー、とおるちゃん)

晩酌のお供に、録画した番組を見ることがあります。
時に、時間差で録画して、20分遅れで番組を見ることがあります。
この辺は、デジタル機器のいい特性です。
HDDの録画は、録画している最中でも、最初から見る事ができます。

便利な世の中です。
その為に、電力に依存することになります。

録画の為に電源は切れません。
待機電力をカットするためには、予約録画も考えないといけませんね。
停電した時、がっかりします。

待機と言えば、待機説法です。
お釈迦様は、この待機説法の達人です。
1人1人にあった説法をされます。
人である以上、1人1人違いますからね。

それでも、共通するのは、極端なことでなく、中道を歩むことのように感じます。
お釈迦様の歩まれた道でもありました。
右か、左か、との選択に、上ということもありえます。

一件、訳の分らない事ながら、寒山拾得の対話の中みたいですね。
榊莫山さんが、よく描かれていますよね。
「山へ行こうか、川へ行こうか」
「空へ行こうよ」

物事は、有るか無いかの、選択でなく、それ以外の選択もあるように感じます。
仏法で「空」を論じる時、空とは無ではない。
空を無と考えてしまうと、「空」の本質が異なってくるように感じます。
空の中に、有も無もある、そういう中観(ナーガルジュナ)の考えもあります。

この辺になると専門家の偉い先生の書物が必要になります。
しかし、そこに有るか、無いかではなく、見えるか、見えないではないか、と思っています。
「空」という中で輪廻を繰り返します。
私たちは、その中で、過去世や現世、そして来世を輪廻しているわけです。

「空」とは、縁起であるとも言えます。
過去世の縁が、現世や来世に影響するわけです。
因縁という言葉もあります。

この世の修行は、悪い縁を断ち、いい縁を結ぶことにあるように考えています。
その為には、悪い行いをしないで、いい行いをなす。
ここに起源があるように思えます。

何が善で、何か悪か、立場が変われば変わります。
相対観の世界です。

1人1人にあった方法があるはずです。
それが待機説法ではなかったと思います。
お釈迦さまは、その方の過去世も来世も見る神通力があるはずです。

ありがたい仏縁に繋がっていることに感謝して暮らしています。
ありがたいです。

日々の暮らしの中に、幸せはあると感じています。
特別なところでなく、日常に落ちています。
拾うか、拾わないかだけですね。
ありがたいです。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らすを旨としています。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、ショウガない話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。